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toro

Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:心境
早いものでもうすぐ母の一周忌です。あっという間でした。
その間、私は何をしていたかというと、何ら新しいことは一つも始められていないし、ぼやぼやとしていただけで…。ぎっくり腰になったり、大転倒したりして、余儀なく休まされていたという感じでしたが、長い夏休みになってしまいました。

今もまだ、何か新しいことを始めようかという気が起きず、仕事もいただいているものだけをこなしております。あとはやっぱり家にいるのが好きだなあ~という気持ちが強くなってきているというのも事実でありまして……^^;


さて、一周忌。無宗教で散骨という母なので、一般的な法要にあたるようなことはしません。じゃあ、何をするかと考えましたが、「母を偲ぶ会」というかたちで、親戚やお世話になった人々を招いてお食事会を開くことにしました。

生前、母が姉とよく訪れていたイタリアンレストランです。

最後に食べたまともは食事は、ここのトマトソースのパスタだったということもありますが、私も夫もよく知っているところだし、以前、親戚も連れて行って好評なところだし、さらにはお世話になった人々もよくこのレストランを利用しているということがありました。

シェフ、オーナーとも懇意にしていたので、彼らにもお食事会に参加してもらいたいという気持ちもあって、お願いしたのです。

そして先日、そのレストランの前を通り、今月の営業のスケジュールを見ると…。

お願いしているその日は「臨時休業」。

……オーナーさん、休む気であります(笑)

「貸切」のつもりで私はいたのですが、休業とは……。

参加する気満々です。

何だかうれしくなりました。

変な時間帯をお願いしていたものの、夜の営業は可能なんだろうな~と思っていたのですが、、、。

ありがたいことです。


そして母に生前見せたいと思っていた打ち上げ花火。実現することになりました。
ほんの数発の打ち上げ花火ですが、あちらの世界から母に見てもらおうと打ち上げます。多少お金はかかるものの、どちらにせよ、この一周忌の偲ぶ会を終わらせたら、次回はないので。

来てくれる皆にも楽しんでもらおうという魂胆です。

これは姉ががんばりました。どうしても打ち上げたいと、花火師さんを見つけ出し(毎年近くの幼稚園で花火を上げるので、その人に聞いてみた)、請け負ってもらえたということでした。

母を偲ぶ会はこれからですが、肩肘張らない楽しいものにしたいと思っています。

そんな集まりのほうが、母らしい。そう皆に思ってもらえるだろうと。

結構、面倒くさいことをしていると思います。おそらく一般的な一周忌の法要であれば、画一的なやり方があってその通りにすればいいことでしょうから。

でも、まあ、そんな母だったし、私たち姉妹もできるからやるわけで……。


だけど、大々的にやるのは、どちらにせよ、これが最後です。


これが終わったら、あとは内々で偲んでいくということになります。
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DATE: CATEGORY:心境
今日は私の誕生日なんだけど、何することもなくても、必ず「誕生日おめでとう」と母には言ってもらっていたことを思い出す。
必ず、毎年。


一昨年、私の誕生日の翌日に、義母に大そう文句を言われたことがあった。思い余って我が家まで乗り込んできて、思いのたけをぶちまけて、最後には泣かれるという訳のわからないことがあったのだ。

聞けばどうも私がいけないらしい。

夫の家族にいい顔をして、いい嫁を演じれば義母は満足なんだろうけれど、そんなことはできない。義母がよしとする価値観は私には理解できない部分が多すぎる。そんなにいい家族を装いたいのか。うそでも。

「私が一体何をしたというの?」と義母は私を攻め立てた。

何もしていないと思うけど……。


そんな一昨年。

前日の私の誕生日のことは、全く触れずじまいで義母は帰っていった。

もう少し気配りのようなものが義母にあったら。
そうすれば私の気持ちも少しは和らいだかもしれないのに。

まー、夫には人のせいにするなと言われるんだろうな。







翌日、母からは「夫婦が仲良ければいいじゃない」と言われる。



……やっぱり喪失感は大きい。
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DATE: CATEGORY:心境
仕事の関係で領収証を整理した。日付順にまとめるという作業をしたのであるが、今年の4月、5月の領収証を見て、「このときはまだ母が生きていたんだよな」といちいち思ってしまう。

パスネットの領収証を見れば、母が通院していた大学病院の最寄り駅で買ったものだったり。母に付き添って病院に行ったことを思い出す。

そうすると「あのとき、こうしていれば…」とか、「このとき、ああやっておけば…」とか、いろいろと考えをめぐらせてしまうのだ。
やるべきことはやったと思っていても。

まだまだできることはあったのではないかと考えてしまう。

それに元気なうちに、もっと楽しませてあげればよかったとも。



どこかで書いたと思うが、私は母のことがあまり好きではなかった。

好きではなかったから、生きているうちにもっと楽しませてあげたいなんて意識はあまりなかった。

でもふと考えると、何かにつけて「母にこれを食べさせてあげよう」とか、「これは母に買ってあげよう」とか、思っていたことが多いということに気がついた。

いまでもどこかへ行くと、「母にお土産……」と思うときがある。でも買ってもしょうがないわけで。

なんでそんなことを思うのかと考えると、結局は好きではない母であったけれど、母の喜ぶ顔が見たかったんだよね。
母親を喜ばせたいという気持ちは常にあったんだと思う。

子どもってきっとそうなんだろう。

親は気づいているのかどうかは知らないけれど。




あまり好きではなかった母には、意地悪を言われたこともあるし、お金の問題で苦労させられたこともある。
だけど「きちんと親の面倒をみなくちゃ…」と思ってしまっていた。

何でだろう。とても不思議なのだ。



そうしていまなお、これでよかったのかと反芻してしまう。

もう反芻しきったと思ったのに。



厄介なことだな^^;



もうちょっと具体的な何かを思い出して書くといいのかと思うのだけど。




分からない。





おしまい
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DATE: CATEGORY:心境
母にガンが見つかってから、では私はどう思っていたのかということをつらつらと考えてみた。しかし、あまり心情としては変化がなかったように思う。

とにかくやれるだけのことはやろうと思ったのは確か。

でも、母は姉と同居していたし、私はすでに別世帯になって10年は過ぎていたので、普段と変わらない生活であった。そして普段と変わらない気持ちで母に接していたと思う。

ただし、もともとはあまり母のことが好きではなかったこともあって、かなり複雑な心境であったことは間違いない。

父が他界してから、娘2人を育てて生活していかなければならないという状況に陥ったとき、それは母にとっては大変なことだったとは思う。しかし、転職をやたらと繰り返し、借金もし、娘には「勉強しろ」とは言わず「好きなことをしなさい」と言ったけれど、一方で「私の言うことを聞きなさい」と脅すような言い方をする人だった。

とにかく自分の思い通りにならないと気がすまない人だったので、そのために転職も多かったのだろう。正しいことを行おうと一生懸命な人であった。でも、それを行うのに、その環境や条件、あるいは人の心情を考えるということをしなかった。だから平気でちゃぶ台返しのようなこともしたし、人を脅すような物言いするようなこともあった。

それがずっと好きになれなかったところだ。

でも感謝せずにいられない部分もあった。それはどんなことがあっても味方にはなってくれたことである。これだけはありがたかった。お金や物質的なことは望めなかったが、言葉や態度では必ず支えてくれようとしていた。これが母親っていうものなんだろうなと思う。


晩年、姉は母をあちらこちらに旅行に連れて行ってくれていたし、もちろん姉が生活の援助をしてくれていたから、それほどお金に苦しまずにいた。なので、不自由なく過ごしてくれていたのではなかろうか。

私自身は最後の1年間、ほとんど毎日のように母のところへ行った。犬の散歩を口実にしていたが、心配で仕方がなかったのだ。いつ何時、どのように変化するかわからないし、病状が変わったときにはすぐに対応したいと思っていた。そして、母と話がしたいと思っていた。

思い起こせば「もうそんなに長くはないな」と感じていたのだと思う。もう話すことができなくなるかもしれないということを、薄々感じていたから。自分のためにも母と話がしていたいと思った。また、寂しくさせたくないという気持ちも強かった。

そんな思いもあったので、毎日、顔を見に行ったけれど、話すことといえば普段と変わらず、いつもの母娘の会話であった。憎まれ口をずいぶんと叩かれたし……。

きっとそういうものなのだろう。


悔いというものもあまり残っていない。

大体、私は人の介護というのは苦手だ。人の体に触れるのが怖いということもあるが、素人同然の人がやるべきではない。介護状態になったならば、絶対にプロの手にかかったほうが良いと思っている人間だ。

であるから、介護が必要とあらばその道のプロを探してお願いする……そういうことで奔走することは全然いとわない。むしろ、そういうことは得意なので、走り回っていい人を探してお願いするということは率先してやってきた。

自分の立場はここにあると思っているので、「できないことはできない」し、「やれることはやる」、それだけである。

お陰さまで、母はほとんど介護の手を要さなかった。介護らしい介護は、娘2人で何とかなったのだから。これは感謝すべきなのだろう。ヘルパーさんもお願いしたが、身体介護ではなく、家事援助でお願いしただけで終わった。



喪失感…。それはまだよくわからない。

息をひきとってからの2週間はどっと落ち込み、母の最期のことばかりを考えてしまっていた。姉も会えば、最期を迎えたときの話ばかりが出て、2人ともその話に終始する始末だった。まるで反芻するかのように。

おそらく、何度も考えて自分の心にしみこんで同化するように、咀嚼している時間だったのだろう。きっと必要な時間だったのだと思う。

「うつ」というのも2週間以上続くと、病気の疑いがあるという。2週間という時間は、人間にとってある種のタイムリミットなのかもしれない。2週間で気持ちは変化するということか。

とにかく私は2週間たったある日、ふっと身が軽くなる感触を覚えた。「ああ、これでよかったんだな」と思えたのだ。

それから、仕事も少しずつ始めて、他人と会うのが平気になってきた。そしてようやく日常生活に戻ろうという気持ちになったのである。


数日前に、O先生からお便りが届いた。

「2ヶ月が経ったけれど、どうしていますか」とのこと。

結びに「皆様との大切な時を共有できました事に感謝致します」とある。

こちらが感謝すべきなのに……。


いい人が回りにいたから、きっと私も耐えられたんだな。


おしまい。



また心境の変化に気づいたら、書き綴るかもしれません。
いまは「何で子どもというのは、親の面倒をみなくちゃ」という気持ちになるのかな…とふと考えているところです。
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DATE: CATEGORY:心境
クールな物言いをしてしまいそうなのだが、母の死に接してみて、いろいろと感じたことがあった。

その中でも、一番感じたことは「死に様はその人の生き様を写し出す」ということ。

母の死というのは、とてもきっぱりしていた。
まさに計画通り? というような感じ。

ガンを患ったことについては、本人は不本意だと思っていたと思う。
「ゼッタイに治してやる」と思っていたことも知っている。

でも、着々と死への準備を進めていたことも事実で、「尊厳死の宣言」書にしてもそう。遺言書のようなものを残していたこともそう。
そして、自分の荷物を減らし始め、死を迎える10日くらい前からはアクセサリーなどの形見分けをし始めた。
3日前には、前記事に書いたとおりで自分の葬儀の指示も与えた。

母は私に対しては、自分の死が近いということを私は分かっていると理解していたようで、あれこれと言えたようだった。

しかし姉には現実味があまりなかったため、母は自ら、その日の4日前に「Mちゃん、もうダメだと思う」と姉に伝えていた。

看護師さんにもわざわざ「週末だと思うの」と言っていたらしいし。

そしてその時を迎えれば、家族が揃って見送ることができた。
まるで予定通り。スケジュール通りという感じだった。


母は物事を白黒はっきりとつけたがる性分だった。「いいものはいい、悪いものは悪い」といつもきっぱりと言ってみせた人で、そのはっきりと物を言う性格が人に好かれる格好となっていた。

お陰で葬儀には思いも寄らない数の人がきてくださったし、思いも寄らない数の花が集まった。

私にとっては、白黒はっきりつけたがる性分は、ややもすると人を傷つける結果にもなったので、母の嫌いな側面でもあった。

でも、それでも慕ってくれる人がたくさんいたんだなあ、と感慨が深くなった。


そしていま思うことである。

生きてきた姿勢がそのまま、死を迎えるときの姿に反映されると。

葬儀はほとんどオーダーメイドになってしまい、グズグズになったときもあったけれど、母らしい葬儀になったし、死を迎える前の母の言動や死を迎えたその瞬間も母らしいなと思った。

納得づくの死。

生きてきた姿勢を感じさせる死。


白黒はっきりとスケジュール通りに母は逝きました。



ちなみに、私の父は病院で一人でひっそりと息を引き取っています。
どうも一人で逝きたかったらしく、家族を家に帰らせたあと、
知らないうちに死んでいました。
人を寄せ付けない(外面はとってもよかったんですけどね^^;)、
コワーイ父の最期も、いま思うと父らしいな~と思います。

面白いですね。

おしまい。
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