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toro

Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:母の一日
hanabi

7月12日に母を偲ぶ会を行い、花火を打ち上げました。うまく写真に撮れなかったのは残念でしたが、でも、無事に会も開けて、花火を上げられて満足です。

散骨についても、参加してくれた人たちに報告できたし、これでようやく終わりました。

ぼちぼち、母のことで思い出すことがあれば書きたいと思いますが、いったん、ここでお休みということにします。

ありがとうございました。
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DATE: CATEGORY:母の一日
温泉番組を見ていて、突然思い出した。母のことで、忘れていることがいっぱいあるなあと思うけれど、こうしてちょっとずつ思い出すだけでもいいか…と、案外適当なのであるが、温泉のこと。最近読んだ週刊誌にも出ていたので、思い出したのだった。

もう病状は末期と言われた頃ではあったが、まだ食べられたし、歩けていたときのことである。「toroちゃん、玉川温泉というのがあるらしいのだけど…」と母が口を開いた。「温泉?」と聞き返す私。「ガンに効くらしいのよ」と言う。そして、「行けるのであれば行きたいんだけど、調べてくれるかな?」と言い出した。

玉川温泉というと、東京と神奈川に挟まれている多摩川のことか? とトンチンカンなことを思い浮かべつつ、「うん、わかった」と言って私は自宅へ帰り、玉川温泉のことをネットで調べてみた。

場所は秋田は田沢湖。うわっ、遠い。宿はあるのか? と調べてみると、何ヶ月も先まで予約で一杯。http://www.tamagawa-onsen.jp/
相部屋で空いているところがあるものの、病院でさえ個室でなければならない母。これは、連れて行くには難しいなと調べてみた瞬間に諦めざるをえなかった。

そして、そのことを母に言ったかというと記憶にないのだ。

宿に空きがない、と言った覚えもないし、遠いと言った覚えもない。

私はその後、どうしたんだろう……。

それで少しは病状が好転するならば無理してでも連れて行ってあげたかったけど…と思った。
でも、母の状態を見るとそれは本当に難しい問題で、、、。言うに言えなかったように思う。

ガンと分かってからの母というのは、化学的な治療はほとんど受けていなかった。手術をすれば治ると思っていたような人である。しかし、人知れず民間療法というものを試してみていたようだった。

最後まで受けていたのは気功。効いていたのかは分からないが、痛みが少し和らいでいたようである。
それから、お茶に始まり、キノコ類、漢方。。。私は見て見ぬふりをしていたように思う。オカルト話が好きなくせに、かなり現実的な私である。実は民間療法が効くとはあまり思っていなかった。最終的には気の持ちようだと思っていたから(今もそう)。なので、見て見ぬふり。

だったら、最初に一度は化学療法を試してみるべきだったんじゃないのかと思ってしまうのだ。なのに、最後のあがきのように民間療法って……。

温泉は連れて行ってあげられるのであれば、連れて行ってあげたかった。でも、条件的に難しすぎた。末期のガン患者だからといって優先的に宿が取れるわけではなく、おそらくいろんな病気や症状の人が訪れているところだろう。想像するに、母には向かないと思ってしまったのだ。

人が好きなようで、実は人と交わることが苦手であった母である。こういった湯治をするような温泉では必ずや気疲れをしてしまっただろう。ちゃんと個室が取れるならまだしも。

そうして諦めた温泉だった。

連れて行けなかったことに、あまり後悔はしていなかったのだが、「行きたい」と言った母の気持ちを考えれば、もう少し親身になったほうがよかったのかと悔やまれる。「生きたかった」んだろうな。

でも、今考えても連れて行くには難しい温泉地だったと思う。

もう少し元気な人じゃなければ無理だったよ。

本当に必要としている病人には優しくなかったね…ということにしておこう。

母、すまぬ。

おしまい。
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DATE: CATEGORY:母の一日
天使を見たという人の話をまとめた本を読んでいたのだが、ふいに母が言ったことを思い出した。
忘れないうちに書いておく。

私もオカルト好きではあるが、母も相当なオカルト好きな人であった。霊感は強くなかったように思うのだが、母は念力の人であったと思う。思う力が強かった人だ。

その力を持ってしても、母は命を延ばすことができなかった。治りたいという気持ちは強くあった人である。しかし、その願いは叶わなかった。そう思うと、寿命というものは絶対にあるんだなと、そう実感する。

それはさておき、母が息をひきとる10日か、2週間くらい前のことだったと思う。

いつものように実家に行って、何とはなしに母と話をしていたとき。

「toroちゃん。今朝方、お坊さんが両脇に立っている夢をみたんだけど……」と母が言う。

「またまた~」と笑いながら、でも私は嫌な予感がしたので、「何言ってんのよ~」と取り合わないでいた。それでも「袈裟を着たお坊さんが立っていたの」と何度も言うのだった。

まだそのとき、私は母が簡単に逝ってしまわないと思っていたし、母もすぐに自分は逝かないと思っていたと思う。

でも、お坊さん……。

「それで、そのお坊さんは何か言っていたの?」と母に聞くと、「ううん。何も言っていなかった」と母。
「じゃあ、まだまだ大丈夫ってことなんじゃないの? ちょっと心配して来てくれたんだよ、きっと」と私は母に返した。それは母を励ますつもりの言葉でもあったし、自分に言い聞かせるつもりの言葉でもあった。

それを聞いて母は「う~ん…。そうかもね」と言いながらも納得のいかない顔をしていた。

私はといえば、<ありえない>とも思ったが、でも<本当かもしれない>と半信半疑でいた。


死を迎えようというとき、この世にいない誰かが見えたり、花の香りがしたり、お線香の匂いがしたり、はたまた蝶が飛んできたり、天道虫が迷い込んできたり、というようなことがあるという。

母に限って、まさかね…と思っていたのだ。

でも、やっぱりそうだったのかもな、と今は思う。



一昨日のこと。

むしょうに餡子が食べたくなった私。そして、昨日も「ああ、餡子が食べたいなあ~」と思っていたのだ。基本的に甘いものは好きではないのに。

そしてふと気がついた。

春のお彼岸だったのだ。


それから、餡子が食べたいと思ったのもそうなのだが、一昨日からなぜか、うちの中で花の香りが漂っていたのだ。

ちょうど腰を痛めている私は一昨日から毎日整体に通っているのであるが、整体から帰ってきて、家の扉を明けると、花の香りがふあ~んと漂っているのに「あれ?」と気がついた。

今、何も生花を飾っていないから明らかにおかしい。

消臭剤や洗剤といった匂いではない。

<不思議だなあ>と思っていたんだけど、昨日も整体から帰って来るとまた花の香りがした。

それで昨日お彼岸であることに気がついてから、今日また整体から帰ってくると、もう花の香りはしなくなっていたんだ。

面白い。

でまあ、気がついたからには「おはぎ」を買ってこなければと、今日買ってきた。春だから「ぼたもち」といったほうがいいのかもしれないけど、まあ、いいか。


そうしてさっき、母の遺骨の入ったペンダントの前におはぎをお供えし、お香を焚いたのであった。


こういうこともあるのかもな…というお話。

いや、母にしてやられているのかもしれない^^;

おしまい。
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DATE: CATEGORY:母の一日
母にまつわることで、書いておかなくてはと感じることを思い出したので、書き記しておこうと思う。

母が終末期を迎え、緩和ケアのお医者様であるO先生に往診に来てもらうようになったある日のこと。

O先生と母は会話を続けていたのであるが、O先生からの「Mさんは、何をしたいと思っていましたか?」という質問に母はこう答えたのである。

「花を摘んで人に配って歩くような、そんなことがしたかったです」

横で聞いていた私は「は?」と思ったものの、その言葉に続いて「花を配って、みんなの気持ちを和ませるようなことをしていたかった」と母は言った。

O先生は「みんなの気持ちを和ませたかったんですね」と反復して、母の言葉を継いだ。


この話は、何度となく出たような気がするのだが、今でもこのときの母の本心は計りかねている。

確かに植物を育てるのが好きで、猫の額ほどの庭もきれいにしていた。母が他界する直前までは紫陽花の花が咲き乱れていて、通路を通るのも大変だったほどだ。

母がいなくなったいま、雑草もぼうぼうと生え、見る影もなくなってしまった、、、。(先日、見かねて雑草取りをしたのだけれど、やぶ蚊が多くて挫折してしまったのだ^^;)


おそらく、あちらの世界に行ってからも植物を育てているんだろうと思う。そしてこちらの世界でできなかった「花を配って歩く」ということも始めるだろう。もう時期……。



一匹狼的な性格の持ち主であったにもかかわらず、こんなことを言うなんてと私は思った。人と話をすることが大好きだったから、そんなところから湧き出た気持ちなのだろうか。
ある意味で施しとも取れない発言である。少し偉そうな気もするが、純粋にただ花を配りたいと思ったのか。

いまだに分からないでいる。


母が遺した謎の言葉。

当分の間、考え続けることになりそうだ。

おしまい。
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DATE: CATEGORY:母の一日
ちょうど一年前に母にガンの転移が見つかり、さあ、どうするか、ということになった。

母のガンは原発は乳がん。
次に悪性リンパ腫に罹り(これは寛解)、
そして昨年、転移性骨ガン、転移性肝臓ガンが見つかった。
見つかったきっかけは、首の骨の激しい痛み。
骨ガンはガンのなかでも痛みがひどいものなのだという。その痛みに耐えかねて大学病院を訪ねてみれば、あえなく転移が見つかったということだ。

がん治療については、本人が事細かに調べていて、体に負担が少なく、だけど効果が上るものを常に考えていたようだった。
抗がん剤治療を拒否していた母は、抗がん剤で免疫力が下がるのを恐れ、さらに言えば60代も半ばを過ぎ、体力が落ちることのほうが問題であると判断し、抗がん剤治療を拒否していた。

セカンドオピニオンを受けたお医者さまも抗がん剤治療に疑問を抱いていた人だったので、その人の意見をずいぶんと尊重した形となった。

そして、術後5年を迎えようというときに転移が見つかった。

それから、一年前の今ごろから、私の毎日の実家参りが始まるのである。

骨ガンについては、放射線治療が有効であるということを母は調べていて、しかもピンポイントで治療ができるようになっているということであったので、その治療を受けることになった。

放射線治療を担当した先生も、治療方針をとても明快に解説してくれる人だったので、母も気に入ったようであった。

しかし、その治療が母の体に多大なダメージを与えた。

それは「味覚障害」。

頚椎と腰に骨ガンが見つかり、とくに頚椎は折れたら死んでしまうということで、その治療の急を要した。その頚椎への放射線照射が思いのほか強く、喉を痛めてしまう結果となったのだ。

そして食べることが大好きだった母の楽しみを奪ってしまった。
それからというもの、食が細り始めただけではなく、妙な味のするものを食べたがった。最期のほうでは、味の強いもの。キムチとか、スープカレーとか、明太子とか、そんなものではないと味を感じないので、偏食ばあさんになってしまった。

そんなことをしているうちに、見る見るやせ細っていくし。

味覚障害が食欲を減退させたともいえるが、ガンがやっぱり勝っていったんだと思う。ガン性の衰弱で食べ物を受け付けなくなり、、、そして……ということだ。

胃腸、消化器系は全く悪いところがなかった母である。
「乳がんは、食べられるからいいわよね」とも言っていたのに。

QOLの高さを保とうと思っていても、ダメなものはダメなんだなと思ったことであった。
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