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Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:介護保険
母は「要支援2」のままで逝ってしまったので、直接ケアマネージャーさんとのお付き合いはなかった。
「要支援1~2」は地域包括支援センターの保健師さん。
「要介護1~5」は介護事業者等のケアマネージャーさん、という決まりであるから、ケアマネージャーさんとはお付き合いする必要がなかったのである。

しかし、介護保険の申請を行うときに、契約する事業者は信用できるところがいいと私は望んでいた。そのために知り合いに頼み込み、信頼できるケアマネージャーさんを紹介してもらったのだ。これはまだ、介護保険の認定がされる前のこと。

紹介していただいたときに聞いた話であるが、ケアマネージャーさんも受け持てる人数というのが決まっている。そのために、母が受け入れてもらえるかは分からないということだった。

ともあれ、「じゃあ、介護保険制度のご説明に伺いますね」と言ってくれたのが、お世話になったケアマネージャーのTさん。

Tさんは初めて来てくれたときに、「要支援」と「要介護」の違いを事細かに説明してくれた。実のところ、介護保険には詳しいと思っていた私であったが、平成18年4月に改正された制度の内容はよくわかっていなかったのだ。そしてTさんに会ったのは18年の9月。改正されて5ヶ月しか経っていなかったので、現場もバタバタとまだしているという話であった。

そんな話を交えながら、いまの介護保険制度の弊害や現場の苦労、そしてもと看護師だったお話、「自分は夫をガンで亡くしている」とか、自分の家庭のことにまで話は及んだ。

その話しっぷりが、これまたきっぱりしていて聞きやすく、母は大そう気に入った様子だった。

Tさんが帰ったあと、母が福祉関係の市民活動を行っていたときのことを熱く話し始めたくらいだったから、ずいぶんと触発されたのだろう。「介護の現場にこんな人がいるのであれば心強いね」という話を母とした。

そして結局「要支援2」と認定されたために、Tさんにお世話になることはなかったのだが、それでもそのケアマネージャーさんの利用者リストには、母の名前を連ねておくのでと言われ、ほっとしたのだった。
何かのときにはTさんにお願いできるという安心感。

その後、母の容態が悪化するまで、Tさんとは会わずじまいであったが、もう「要支援2」で介護(看護)は不可能だろうと思い、保健師さんに認定更新の相談をしたときに、おそらく「要介護」になるであろうからと一緒にTさんが訪問してくれた。

対応が素早い。

Tさんは「もうだめだ」という母の状況を察知していたようだったが、それは一言も言わずに、私の話をじっくりと聞いてくれた。

私も母の最期は近いと思っていたので、Tさんに対して、母のために近い将来どうすべきかという話をするのはつらかった。たぶんその近い将来はないのだから。ないであろうことを、あるように話すというつらさ。

当初は相談…のようにTさんにお話をしていたが、だんだんと私の悩みを打ち明けるような形になってしまって、申し訳ない気持ちで一杯だった。

それでも「今後はこうしたらいい、ああしたらいい」という提案をしてくれて、それだけではなく、母と私に励ましの言葉をたくさんかけてくださった。それも口先だけではなく、あったかいもので本当にありがたかった。

そしてなによりも、私の話を聞いてくれたということがありがたかったのだ。誰にも言えなかったし、説明もできなかったことだったから。

人に話を聞いてもらうことで、こんなに気持ちが楽になるのかと思ったことはなかった。ただうなづいてもらうだけでいいのだ。

結局、Tさんに会ったのは2回だけだったが、私にとってはお世話になった方々の一人なのである。

人の話を聞いてあげることの大切さを教えてくれたといっても過言ではない。


Tさん、ありがとうございました。


※たった2回だったけれど、この2回の訪問はTさんは無償で訪問してくださっている。それだけでも頭も下がる思いである。なんで報酬がでないのか…介護保険制度の弊害はここにもあるのだ。
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DATE: CATEGORY:介護保険
O先生の新刊が出るのに合わせて書こうと思っていたのだが、現物が手に入らず。オススメの本にもリンクした「いのちはなぜ大切なのか(ちくまプリマー新書)」。

夫よ~、まだ手に入らんぞ(笑) 大丈夫か、筑摩。

ということで内容が分からないままに、オススメしてもと思うのだが、ま、いいや。

以前にもO先生のことは書いてあるし(?)


さて、お世話になった方々の三番目は、緩和ケアのお医者様である。母の最期の1ヶ月間。週に一度の割合で往診してくださった。実家で会ったのは合計5回になるか…。

とにかく緩和ケアに対しては第一人者であると思う。O先生が言うには「麻酔医で緩和ケア…と言っている人がいるけれど、単に痛みをコントロールすることだけが緩和ケアではない」んだそうだ。心の部分までケアすることが必要であるということ。ただ痛みがコントロールできたとしても、すべての不安が払拭されるということではない。そこを勘違いしてはならない…というようなことを言っていた。ある医師を例にして…(それは誰かは言えないけれど^^;)。


母とO先生のやりとりを見ていて思ったことである。
とにかく母の話を聞いてくれるのだ。聞いて同意することによって、患者さんの心を開いていって、何が不安なのか、何が問題なのかを分かろうとする。そして、患者さん自身にもその問題点を理解させようとする…そんな感じだった。

そうすることによって得られた効果…それは信頼や信用以上に、痛みの軽減につながったと思った。

素人考えであるから当てはまらない点もあるかもしれないが、たぶん、母の病状から考えれば相当痛みはあったはずなのだ。母の我慢強さというのも加えたとしても、相当痛かったはず。それでもビックリするくらいの痛み止めは処方されていなかった。

調べれば、とにかく痛がる患者さんは多いらしい。そのために強い痛み止めを施す場合があるようである。

ところが母はあまり痛がらなかったし、先生が処方してくれた薬を飲めば、すううと眠ってしまうような状態だった。

眠っていれば痛くない、ということもあるだろう。眠れないほどの痛みではないということもあるかもしれない。でも、驚くほどの痛み止めは処方されていなかった。

なぜか。

おそらく、先生とのおしゃべりに隠されていたんだと思う。おしゃべりすることで緩和されていたんだと思う。

往診のたび、1時間は辛抱強く母の話を聞いてくれていた。娘の私たちはといえば、もう散々聞いている話だったので、聞く気にもならない内容の話であったが。

それを「癒し」という人がいるかもしれないが、それは私には分からない。本質的に完全なる癒しっていうのはないと思うし。

やっぱり「緩和」のほうがイメージは近い。痛みの緩和、苦しみの緩和。癒されはしないけど、和むって感じ?…そんな感じなんだろうな。



さて、カテゴリは「介護保険」である。なぜ介護保険にしているかというと、O先生の往診も介護保険でまかなわれているからだ。

介護保険のサービスの中に「居宅療養管理指導」というのがある。「医師、歯科医師、薬剤師、管理栄養士などが居宅を訪問し、療養上の管理や指導を行う」というものだ。これを利用して往診をお願いするという形になった。

これは往診が始まってから知ったことだったので、往診に来ていただいた最初の日に先生から説明を受けて「え、そんなサービスがあるんですか?」と驚いた。早速、お世話になっていた保健師さんに連絡をして、「これこれこういうサービスを受ける形になるんだけど、ケアプランとしては大丈夫なの?」と問い合わせる始末(笑)

そして、その保健師さんもよく知らなかったようで、「あ、え? ちょっと調べてみます!」と…。調べてみれば大丈夫な話であったわけで。

ただサービスの限度(月2回まで)はあるので、限度を超えたら「医療保険」でまかなうということになる。


O先生に来てもらえるようになった経緯を書けば、強引な私の問い合わせ&代理外来にあった^^; 「この先生しかいない!」と思い込んだ私のお願いの仕方は、結構強引であったようで…往診三回目の夜、先生は「ストーカーに遭ったみたいなもんですよ(笑)」と言っていた。

あたしゃストーカーかい。


後になってみれば笑い話になるけれど、でもきっとあとで笑い話にしようと、そんなことも思いながら先生は言ったんだろうなと思う。何たって同世代だったし。


O先生、会ってくれて、そして来てくれてどうもありがとう!!!!
先生に出会えて、私も緩和されましたよ~。


おしまい。
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DATE: CATEGORY:介護保険
「要支援2」と認定されてから、保健師さんとのやりとりで「看護」を柱としたケアプランを作ってもらった。
私が第一に「訪問看護師さん」を希望していたのだ。

この頃はまだ月に1~2回、大学病院に通院できていたのではあるが、大学病院での治療が功を奏さないと思うようなことが出て来始めていた。
そして、「熱が出るんですけど」、「血圧が高いんですけど」と言っても、大学病院での検査結果には変化のない数値しか出てこない。そのためになんら打つ手はなく、家にすごすごと帰ってくることが増えてきたのであった。

熱が出るたびにうろたえる母。ガンに罹るまで「自分は誰よりも健康体」と思っていた人である。「風邪なんてひいたことがない」とも言っていた(そんなことはないと思うんですけどね^^;)。

そんな母であったから、熱が出ただけで「何事か?」というくらいにうろたえたし、パニックになってしまって、それを落ち着かせるのが大変だった。

娘の私たちは全くの素人であるから、熱が出たとしても「寝ているしかないんじゃない?」とか、そんなことしか言えない。原因も何もわからないし、ただもう母の訴えを黙って聞いているしかない。なだめる言葉もありきたりのことしか出てこない。

そういうことが続いていたために、どうしたらいいだろうと頭を悩ませた。

往診はそう簡単にはしてもらえないだろう。第一、大学病院からの往診なんてありえない。としたら地元のホームドクターに頼むか…。調べると往診は「終末期」のみなんて書いてあるし、まだ終末期ではないしなあと。

そこで「訪問看護師さん」である。プロにお願いできるのであれば、それに越したことはない。

医療保険でも訪問看護師さんをお願いすることができるが、介護保険でもお願いすることができるのである。当初「要支援」だとダメかなと思ったが、「予防」の観点からの訪問は可能であるということがわかった。そして早速訪問看護師さんに来てもらうことになった。
目的は体調管理、アドバイス、不安の払拭。

これも運がいいというのか…。まず、説明に来てくださった師長さんともいうべき女性がこれまた何に対してもきっぱりと意見を言ってくれる人であった。母のお好み^^

そして、毎週来てくださっていた看護師さんは見た目は小さく、か細い印象ではあったけれど、その性格はとてもしっかりしていて、しかも北海道出身者。北海道で育った母にはうってつけの人だったのである。

いつもニコニコしながらも、母の体の具合を聞き、どのように対処したらいいか的確にアドバイスしてくれた。

そして、毎週毎週、彼女が来るのを楽しみにし始めた母。お話も楽しかったのだろう。本来ならば、雑談は仕事のうちではない。しかし、不安を軽減させるための話をすることは許される。ケアプランにも「不安にならないような環境づくり」と書いてあったくらい、その点については細心の注意を払ってくださっていた。

それを120%叶えてくれたのがYさん。

本当に細かいところまで気を配ってくださった。

食べる量が減り始めれば、すぐに補助食品を紹介してくださったし、熱が出たときの対処法、水分補給の方法など、素人では分からないことを事細かに教えてくれた。

Yさんが来たとき、私が一緒にいられないときは、何かあればすぐに携帯電話に連絡をくれて、必ずアドバイスをしてくれた。

急な入院が決まったときも、保健師さんや介護支援事業者と「あっちこっちに連絡しなくちゃ」とくらくらしていた私に代わって、「私が連絡しておきますから」と一言、すぐに言ってくれた。こういうことが、とってもありがたかった。

やらなくてはいけないことがどっと押し寄せたときに、何気なく代わりにやってもらえるのは、本当にありがたいことなのだ。こういった行為にどんなに助けられたか。

家族の動揺は患者にもうつるということをよくご存じであったということもあろう。

このYさん。計らずも母が他界する2週間前に、家庭の事情で訪問看護ステーションを退職された。何となくではあるが、Yさんに看届けてもらわなくてよかったような気もしている。彼女に最期まで看てもらえたらよかったと思う反面、一生懸命やってくださったことが台無しになってしまうんじゃないか…。そんな変な思いがあったのだ。きっとそれは関係ないと言うだろうけれど。むしろ、最期まで…という思いを持っていてくれていたかもしれない。…それはわからない。

母の死はYさんにも伝わっているのだろうか。

さてYさんが去った後、引き継いでくれたHさんも大そういい人であった。

訪問し始めた頃から、もう終末…ということに気がついていたと思う。「呼吸がおかしいと思ったらすぐに連絡をくださいね」と。そしてこの頃、訪問は週2回に増やしていたのだけれど、さらに時間のあるときは顔を出してくれるようになった。

そのたびにお腹をマッサージしてくれたり、足をもんでくれたり。

息をひきとる前日も、一時間かけてゆっくりゆっくりとやさしくマッサージし続けてくれた。

「Hさんにはやさしくしてもらってよかったね」。


そしてYさん、Hさんにどんなに助けられたか。


感謝の気持ちを表すのがこんなに難しいと思ったことはなく、ただひたすら「ありがとう」というしかないのだけど、本当に言葉にならないくらい感謝している。

本当にどうもありがとう。

こういう方々のお陰で、いい終末を迎えられたのだ。
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DATE: CATEGORY:介護保険
母のガンの転移が見つかったと同時期、義父も体調が悪くなり入院ということになった。

そして義父が入院し小康状態になったとき、義父の担当医からは「転医や在宅での療養を考えて置いてください」と言われる。

要するに大学病院は3ヵ月までしかいられないから、転医する先を探すか、在宅での療養をするか考えて、その準備をして欲しいと言われたのであった。

「いずれ在宅での療養となるかもしれない…」と思ったとき、病院の看護師さんから「介護保険の申請をしておいたほうがいいですよ」というアドバイスを受けた。

それを聞いた義母は、私に申請等々をお願いしてくるのであるが、バカヤローの義兄のせいで後手後手となったのは…本宅で記したとおり。

とりあえず、介護保険の申請を行うことになった。
このとき「え~い、母も日常生活に支障をきたしているし、まとめて三人分(義母を含む)の申請をしてしまえ」と思い、介護保険の申請を行った。

そして認定。

義父は認定される前に他界。
義母は認定されるまで1カ月。
母は認定されるまで3ヵ月(病状が安定するまでと言われ時間がかかった)。

結果、義母も母も「要支援2」。

病気である母も、普段は元気一杯な義母も「要支援2」となり、複雑な心境にはなったが、母に対してはこれからの看護(介護)にお願いしたいことがあったので、認定されれば御の字と思っていた。

認定後の義母は、義兄夫婦にお任せ(そこまではやっていられない)。


そしてようやく、お世話になった方々の一人目である。

「要支援」となると「地域包括支援センター」が「介護予防(!)」のためのプランを考えてくれることになっている。そのセンターから派遣されてきた保健師さんがとってもお世話になった人なのである。

「要支援」であるから、「介護予防」なのであるが、母の場合はガンという病気である。この時点ではどのくらいの余命かは分からなかったが、「予防」できるものではなく、悪くなっていくのは明らかであった。
その点を理解してもらい、保健師さんには「看護」の観点からプランを作ってもらうようにお願いした。

この女性はとても若く、そうそうたくさんのケースを経験していなかったからかもしれない。何に対しても一生懸命だった。分からないことがあるとすぐに自分で調べて、私に教えてくれる人だった。

介護用品にしても、介護タクシーにしても、私が相談の電話をすると一緒に考えてくれた。そして「大丈夫です。任せてください」と力強く言ってくれたのだ。

母との会話も強く印象に残っていたようである。母の気の強い発言もしっかり受け止めてくれて、「こうしましょう、ああしましょう」とはっきりと言ってくれたのもありがたかった。

曖昧な発言を嫌う母である。はっきりと明快に応対をしてもらうとほっとするのだ。途中、センターの担当が変わることになったときには「この保健師さんではないと嫌だ」と言って、続けてもらったということもあった。



この保健師さんとは、9~10ヶ月くらいのお付き合いだったか。
本当によくしてもらったという思いしかない。


彼女に母の死を伝えたとき、彼女がその電話口で絶句したことを忘れることはできない。
そしてお通夜の席にも参列してくれて、誰よりも泣きじゃくっていた…。この私ももらい泣きをしてしまったくらいだった。


もう会う機会もないんだろうなと思うと寂しい気持ちになる。




ともあれ感謝の気持ちで一杯なのだ。ありがとう、Sさん。
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DATE: CATEGORY:介護保険
母の病状が一応ではあるが安定してきたのと、介護(看護)の支援がさらに必要になるであろうことを予想して…というか、もう家族ではいっぱいいっぱいのところがあるので、介護保険の再調査をしてもらうことにした。
現在「要支援2」である。
半分寝たきりになっても「要支援」…これいかに。

そら、それなりに元気だったころに調査をしているから、要支援にしかならなかったんだけどね。

なかなか介護保険の調査は難しいものがある。

そして、選挙だ。

真面目に選挙で投票をしていた母であるが、到底投票に行けるような状態ではない。

病院に入院中であったり、老人ホームに入所していれば、その所定のところで投票できるらしいのであるが、入院中でも入所中でもない。在宅だ。

じゃあ、郵送か何かでできないかと調べてみたら……。

「郵便等による不在者投票の対象者
  郵便等による不在者投票は、身体障害者手帳か戦傷病者手帳をお持ちの選挙人で、次の(1)又は(2)に該当する方又は介護保険の被保険者証の要介護状態区分が「要介護5」の方に認められています(平成16年3月より対象者が拡大されました)。 」

ですと。

「要介護5」ではないと郵送での投票ができない。

要介護5って認知症であれば相当進んでいるんじゃないのか? と思う私は差別的な発言をするようだけど、要介護5という判定をされている人がちゃんと認知して投票できるんだろうか……。

それもはなはだ疑問なんだけど、反対に母のように要介護の認定がされてない人間は投票する術がないというのが、いかがなものかと。。。

変。
かなりおかしくはないか。

それを数日前に「郵送の投票もできないんだねえ」と母に言われ、ガッカリしたのである。

知らなかった。

簡単に郵送の不在者投票をさせてくれるんだと思った。

ひどいよね。
お医者様に判断してもらうとか、ケアマネージャーさんの判断で、不在者投票を可能にするとかしてもらえないのかな、と思う。

病院に入院させるよりも、在宅療養をすすめようとしているのが国のくせに。

とても残念だと思ったエピソードである。
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