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toro

Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:母の一日
記事が前後しますね。すいません。7月10日からのことを記しておきます。長文です。

7月9日の「ついに来たか……」と書いた後、やはり母の容態はどんどん悪くなり、水と氷だけで何とか持ちこたえているという状態になりました。


10日(火)
朝早々に実家へ。姉から「母が『息苦しい』と言っているんだけど…」と連絡が入り、焦って自転車を飛ばす。以前「息が苦しかったら、在宅酸素を2時間で届けることができるから」とお医者様に言われていたので、朝早いにもかかわらずO先生に電話をし、どうしたらいいか指示を仰いだ。電話口で「オプソ(モルヒネの一種)を飲ませてください」と言われ、「あ、そうか…」と。
「苦しいというときは、まずはオプソ」ということを先生に言われていたのを思い出してすぐに飲ませる。
そして私に珍しく仕事の打ち合わせが入っていたので、お昼の間どうしても母を看られず、従兄の奥さん(Mさん)にお願いして外出。訪問看護師さんも同時期に来てくれて様子を見てくれた。

夕方、保健士さん、ケアマネージャーさんと今後の看護(介護)のことを相談するために来てくれることになっていたので、打ち合わせ後すぐに実家へ。なんたって「要支援2」だったし、支援を受ける内容に限界が来ていたし、でも状態が状態だし…という悩みのなかでの相談。
ケアマネージャーさんは元看護師さんで、母の様子を見ると「もうダメかな」と印象を持ったようではあったが、明るく母に声をかけてくれて、そして私の不安を打ち消してくれるように親身に相談にのってくれた。

その間、訪問看護師さんが酸素の手配をしてくれて、在宅酸素の器具と酸素ボンベがやってきた。酸素1リットル。

母と話をしている間は、パンパンにむくんでしまった足をマッサージし続ける。

この日はここで何となく小康状態。姉とバトンタッチ。

11日(水)
朝から実家へ。この日も水と氷だけ。少しでも栄養を与えたい私はレモン水を凍らせて口に含ませてみるも、「水だけの氷のほうが美味しい。氷もあまいんだよ、toroちゃん」と母に言われる。
お昼にはまた従兄の奥さん(Mさん)が来てくれて、訪問看護師さんも様子を見に来てくれる。

看護師さんが帰り際、玄関で、「肩を大きく動かして息をするようになったり、息をする間隔が大きく開くようになってきたらすぐに連絡をください」と……。Mさんと2人で顔を見合わせる。
<やっぱりダメか>と覚悟を決めた。

トイレは朝夕の2回に。
夕方、抱きかかえながらも何とか自分の足で歩き、トイレに入った。
便座から立ち上がるのも難儀そうで…母は「足の筋肉がなくなっちゃったねえ」と悲しそうに言っていた。
それでも自分の力でトイレに行こうとする母は偉いと思った。

以前から「最期はホスピス」と言っていた母である。その見極めは「自分でトイレに行けなくなったら」というものだった。

「明日、O先生が来てくれるんだよね。先生に入院したいと言わなくちゃ」と母。
「家にいてもいいんじゃないの?」と私は言うも、「皆に迷惑をかけるのが心苦しいから」と言う。
<本人の希望通りにすべきなんだろうけどな…>と思いつつ、気持ちに迷いが生じてきた。私も最期はホスピスに入ったほうが、本人も楽なのではないかと思っていたのだが、果たしてそれが本心なのか。分からなくなっていた。

この日は姉に早く仕事を切り上げて帰ってきてもらい、一緒に姉とテイクアウトの食事を取りながら、母を看る。
そして姉とバトンタッチ。

12日(木)
母には申し訳ない気持ちで一杯だったが、持っている銀行の口座…預金通帳やら、家の権利書のある場所などを聞く。
本人はいたって平静で、「あそこを見てみて、向こうを探してみて」と次々私に指示を与えた。
母は「尊厳死の宣言」という文書を残していて、そういうものを書いているのは知っていたが、このとき、改めてそれを手にとって見るととっても悲しく感じてしまった。裏には、死んだあとどうして欲しいかということが書いてあった。それも以前に見てはいたのだが、これが現実となると……。

そんなこんなしながら、何となく枕元で話をしていると、
「お化粧はKさんにしてもらって。それから、お花はBさんに。私の周りは可愛いお花で飾ってね。それ以外はあんたたちの好きにすればいいから」なんて言い出す。「Kさん、私の顔を見ながらぼろぼろ泣いちゃうかもねえ」なんて言っている。
「Mくんに美味しいものを作ってもらってね。そして通夜振る舞いのお酒は安物じゃなく、いいお酒を出すのよ」…だって。
「ずいぶん偉そうじゃん」と言うと、「偉いもん。最期まで私の言うことを聞いてもらうからね」……。
最後の最期まで母にやられっぱなし(^^;

夕方、母は「もう自分でトイレに行けない」と言い出す。それを聞いて帰ってきたばかりの姉が車を飛ばし、おまるを買ってくる。この日の朝、私が抱きかかえながらもトイレに行ったのが、自力で行った最期のトイレ……。

夜、O先生が往診に来てくれる。母をひと目見たときのO先生の表情を見ると、もう長くはないということが分かった。
ゆっくりと話をしながら、母の意思を確認する。O先生を信頼している母は、O先生には本心を語ってくれるだろうと思って、そのとき姉と私は席を外した。
「入院したいとおっしゃっているので、ご本人の希望を尊重しましょう」と先生。すぐに提携しているホスピス病棟のある病院に連絡をして手配をしてくれた。丁度、緩和ケア担当のお医者さまが当直で、話が早かったようである。
「ホスピス病棟は空いていないけれど、一般病棟が空いているので、そちらに入ってもらいましょう。明朝一番で娘さんが外来に行って手続きをしてください」と先生。
その場で紹介状を作成し、その足で病院に紹介状を持って行ってくださった。夜、8時を過ぎている。ものすごく素早い対応で頭が下がる。

O先生は帰り際「早くてこの週末だと思う。僕も病院に様子を見にいくから」と。

13日(金)
朝早く夫T君と実家へ。入院手続きのための用意をしていると、介護保険の調査員が来る。要介護度の見直しのためのそれであったが、「今さら……」と思いつつも、来てもらったのだ。そしてその場は姉に任せて、病院へと車を走らせる。
外来で緩和ケアの先生の説明を受け、手続きを済まして、母の移動手段を思案。先生は「救急車を」と言うが、姉は「救急車はいやだ」と。
ストレッチャーで運んでくれる介護タクシー会社を探し連絡をいれると、すぐ来てくれるということになり、事なきを得る。
実家へ帰ると、北陸のほうで就職をして働いている従兄の息子が駆けつけていた。「S君に会えてよかった」と母。そしてもう一人の近所に暮らす従姉が来てくれて、この後、病院まで付き添ってくれた。

介護タクシーには姉が同乗し、私はT君運転の車で病院へ。家の玄関から門扉までが狭いので、担架で母を運ぶのに難儀したが、従兄と従兄の息子、そしてT君という男手がたくさんあったので助かった。親戚が近くにいてよかった…(これまでは全然いてよかったなんて思ったこともないんだけどね^^;)。

ホスピス病棟は空いておらず、一般病棟への入院となったが、30床以上ある一般病棟のうち20床は緩和ケアのための入院患者だと先生は言っていた。それだけ、緩和ケアの需要が高いということなんだろう。そして、この病院の緩和ケアに対する姿勢が有名になっているということが分かった。

母は個室を希望したが、個室が空いていなくて、2人部屋に。しかし、幸運にももう一つのベッドは空いていて、そのベッドに姉が泊まることになった。

病院に入れば、とりあえず一安心。急変したとしても百戦錬磨のお医者様、看護師さんたちが控えている。それを知って安心が一層増した。そして姉に母を任せていったん帰宅。

14日(土)
午前中、私とT君は整体に行き、母の元へと車を走らせる。
前日に「14日の晩は私も泊まるから」と姉に伝えるも、姉は「大丈夫」との返事。そんなにすぐには逝ってしまわないという様子であったが、私は心配でたまらなかった。
案の定、病院に着くと母の呼吸がおかしくなっていた。とても苦しそう。姉にこれまでの様子を聞いても要領を得ず。とにかく呼吸がおかしいから、看護師さんをT君に呼んできてもらう。
すると、やはり息が苦しかったらしく酸素量をマックス(7リットル)に。息をするときに大きな声が出るようになってきてしまった…。
病院の担当医が来て様子を見る。「そろそろかもしれません。呼びたい人がいたら、呼んでください」と言われる。
慌てて、従兄の奥さんに電話。そしてこの日見舞いに来ると言っていた母の妹(叔母)夫婦に「急いで」と連絡。
最期まで聴力は残ると聞いていたので、母に声をかけ続ける。腕や足をさすりながら。だんだんと手の先や足の先が冷たくなっていくのが分かる。

従兄の家族が到着。共に、母が一番嫌っていた姉(伯母:従兄の母親)が来る。来て欲しくはなかったのだが仕方がない。まだ死んでもいないのに号泣され、私と姉は困惑。
叔母も到着し、大きな声で母の名前を呼ぶ。これまた号泣……。<だから、まだ死んでいないって>と思うも、<仕方ないんだろうな>と納得する。

そして午後3時少し前。静かな息に徐々になってはいたけれど、その息の間隔が長くなり始めた。そして最期にはすうぅと息が止まった。

お別れの瞬間。

母は逝ってしまった。
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DATE: CATEGORY:家族
とりあえずほっと一息ということで、母のことを書き始めればいいのだけれど、昨年の健康診断で要再検査となっていた姉が不調を訴えて、私が通っている婦人科のお医者様のことを聞いてきた。

聞いてくるくらいになっているということは、きついということなんだろうな~くらいには思っていたけど、母には「早く医者に行け!」と言われ続けていた姉である。
そして今日、「とにかく行け!」と尻を叩き、医者に行ってもらった。

すると、その場でできるだけの検査の結果、あまりよくなかったらしい…。
次にMRIだの何だのの検査をして、その結果を聞くときには「妹を連れて来なさい」と言われたそうだ。

妹を連れて来なさいってあなた…。

まだ母の事務処理等々も終わっていないというのに。
散骨の準備もしなくてはいけないというのに(←母は散骨を希望…)。


どーんと疲れてきたよ~。

やだよ~。

困ったもんだよ~。


ツレーです。


おしまい。
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DATE: CATEGORY:母の一日
従兄の奥さんがお昼ごはんを用意して、母は食べさせてもらっているのであるが、今日お昼過ぎその彼女から電話がかかってきた。

「toroちゃん。お母さん、もう何も食べられないって。水しか飲めないって言っているの」

明らかに動揺しているよう。

「それでさっき、私がいる間に訪問看護士さんが来たんだけど、明日も来るといっているし……」

「もう何も食べられないって言っているんですね。それで訪問看護士さんが明日来てくれるって言っているんですね?」とオウム返しに返事をする私。

「そう」

「わかりました。どうもありがとう」

と言いながら会話は続く……。

唐突に、食べられなくなる日が来た、と思った。

お医者様には「最後は水を飲むだけになるよ」と言われていたので、その時期が来たのかなと思った。

けれど…薬を換えればもしかしたら、、、ということもあるし。

ということで、とにかく今日明日は様子を見て、それからお医者様に相談しようということになった。

病状が安定したかのように見えたのに…。それで介護保険の再調査もお願いしたばかりだったのに…と思ったけど、それは仕方がない。

従兄の奥さんは泣いていたようだし。それはそれで参るんだけど。



母本人に聞けば、どうしたらいいか分からないようだしさあ。

入院したいようなそうではないような。



え~い! なるようになるだろう。

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DATE: CATEGORY:介護保険
母の病状が一応ではあるが安定してきたのと、介護(看護)の支援がさらに必要になるであろうことを予想して…というか、もう家族ではいっぱいいっぱいのところがあるので、介護保険の再調査をしてもらうことにした。
現在「要支援2」である。
半分寝たきりになっても「要支援」…これいかに。

そら、それなりに元気だったころに調査をしているから、要支援にしかならなかったんだけどね。

なかなか介護保険の調査は難しいものがある。

そして、選挙だ。

真面目に選挙で投票をしていた母であるが、到底投票に行けるような状態ではない。

病院に入院中であったり、老人ホームに入所していれば、その所定のところで投票できるらしいのであるが、入院中でも入所中でもない。在宅だ。

じゃあ、郵送か何かでできないかと調べてみたら……。

「郵便等による不在者投票の対象者
  郵便等による不在者投票は、身体障害者手帳か戦傷病者手帳をお持ちの選挙人で、次の(1)又は(2)に該当する方又は介護保険の被保険者証の要介護状態区分が「要介護5」の方に認められています(平成16年3月より対象者が拡大されました)。 」

ですと。

「要介護5」ではないと郵送での投票ができない。

要介護5って認知症であれば相当進んでいるんじゃないのか? と思う私は差別的な発言をするようだけど、要介護5という判定をされている人がちゃんと認知して投票できるんだろうか……。

それもはなはだ疑問なんだけど、反対に母のように要介護の認定がされてない人間は投票する術がないというのが、いかがなものかと。。。

変。
かなりおかしくはないか。

それを数日前に「郵送の投票もできないんだねえ」と母に言われ、ガッカリしたのである。

知らなかった。

簡単に郵送の不在者投票をさせてくれるんだと思った。

ひどいよね。
お医者様に判断してもらうとか、ケアマネージャーさんの判断で、不在者投票を可能にするとかしてもらえないのかな、と思う。

病院に入院させるよりも、在宅療養をすすめようとしているのが国のくせに。

とても残念だと思ったエピソードである。
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DATE: CATEGORY:母の一日
母の食事の用意は、姉と従兄の奥さんと私とで、順繰りとしている。
従兄の奥さんには頭が下がるばかりなのであるが、母の看護に参戦してくれて大変ありがたいばかり。甘えてばかりもいられないんだけれど、人の手数が多いほど看護が楽になる。

昨日の母は、姉が仕事で帰れないために、前日に朝ごはん(おいなりさん)を用意。保冷剤をつめつつベッドに備え付けてあるテーブルに置いてきたけれど。

お昼に行ってみれば「一個しか食べられなかった」とのこと。

朝食をとってから、頑張って一人でシャワーを浴びた模様で、少し消耗していた。でもシャワーを浴びるというのは気持ちいいんだろうなと思う。

まだ(というのはおかしいけれど)人の手を借りずにシャワーを浴びたり、トイレに行ったりはできている。

お昼は、母リクエストのつゆだく天丼(笑)

「つゆがたっぷり入っていると味が濃くなるし、お米が食べやすくなるんだもん」と言う母。放射線治療で味覚障害になってしまってから、妙なものを食べたがるようになってしまった。

海老天一本、いんげん天一つ。芋天、カボチャ天(半分)とご飯を少し食べた。

夕食のリクエストは「冷汁」。「近くのスーパーで宮崎物産展が開催されているので買ってきて」と頼まれる。

毎日、新聞と折込チラシをスミからスミまで読んでいるために、いろいろな想像が増すようである。「冷汁」はスーパーのチラシをじっと見た後のリクエスト^^;

自転車を走らせ、「冷汁」を買ってくる。

きゅうり、茗荷、紫蘇を刻み冷汁の完成。

夕食はそれだけ。1/2人前くらいは食べたかなあ。

母いわく「朝起きたときに、元気になっているかな~って毎日思うんだけど、元気になっていないのよね~」

「そうだね……」


そうして一日は終わる。

ここ2,3日で足のむくみがちょっとひどくなっていた。
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DATE: CATEGORY:未分類
母の往診をお願いしているO先生に、「お母さんのことを書いて残しておいたらどう?」と言われたことに、「それもそうだな…」と思って。
本宅で書いてあったことにプラスして、これからはもう少し詳しく書いておこうと思う。
治療(緩和ケア)の内容とか、薬とか、そして介護保険のこととか。

もひとつ。自分の心境も書いておこうと思うのだけど、本宅では書きにくくて「こりゃいかんわ」という感じだったので、こちらを作った。

ちゃんと続けられるように。


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DATE: CATEGORY:緩和ケア
2007.5.30に記す。

先週から母が入院をしているのだが、2週間で退院させられる。最も入院させること自体を主治医はしぶっていたくらいだから、すぐに退院させられるのは致し方ない。

「入院するほどではない」という主治医の意見もよく理解できるし。

とにかく、母は病気の自分に疲れきっていて、家で不安な思いのまま一人で過ごしている時間がつらくなっていた。なので、自ら「入院させてくれ」と頼んだのであった。

確かに食事も喉を通らず、元気な頃の1,2割しか食べられなくなってしまった。体重も激減した……とはいえ、なかなか太っていたので、やせてようやく標準体重なんじゃないの?という感じなんだけど、それでも体重が激減してしまった自分にショックを受けている母なのであった。何で食べられないのか…それがわからずじまいということも大きかった。

それはさておき、退院後の母の看病(介護)をどうするのか、というのが最大の懸案事項であった。

ターミナルの時期といわれ、本人はご飯が食べられないというし、一体どういう看護(介護)をしていけばいいのかと頭を悩ませていたのである。

毎日毎日実家へ行って、ご飯を作り、看病(介護)を続けなければいけないのか…。それとも本人が自立できるようなサポートがいいのか。

だいたいにして病気である。しかも末期といわれて、本人もそれを承知している。

となれば、このまま静かに死を待つべきなんだろうか…。

悩みに悩んだ。

最終的にはホスピスを希望している母であるが、ホスピスに入れるようになるまで(…という言い方は変なのだが、病状にもよるし、タイミングによっては満床のためにすぐには入れないときもある。いろいろと難しいのだが)、どのように過ごさせればいいのか。

もともと積極的な治療は受けないと決心していた母であるのだから、残された道は「緩和ケア」である。

入院して「緩和ケア」を受けるとなると、それはホスピスに入るというもの。

となると、家でホスピスに入るまでの間は、「在宅緩和ケア」あるいは、「緩和ケア外来」のある病院にかかるということなのであった。

現在入院中の大学病院でも、緩和ケアを専門としている医師はいるようなのだが、何たって大学病院。最先端医療で治療してこその病院である。痛みのコントロールや心のケアなんて門外漢。第一、患者さんが多すぎてそんなところまで手が回らないのが実際なのだ。当然だと思う。マスコミでも言われているように、医師不足、看護士不足は深刻なのだ。もう治癒も見込めない患者をみるどころじゃない。

で、調べました。調べまくりました。http://www.hospat.org/what.html

本も何冊読んだことか^^;

実家から近いいくつかのホスピス、緩和ケア外来にあたりをつけ、それに集中して考えをめぐらせました。

そうしたら、訪問診療に来てもらえるかどうかという微妙な距離であったけれど、長年緩和ケアに携わってきた医師が、なんと昨年、訪問診療を専門とするクリニックを開業していたのを見つけたのでした。悩みまくった甲斐があった(笑)

しかし、かなりその道では名の知られた医師(O先生)であったし、敷居は高いのではないか。でも、考えても考えても、信頼できるとしたらこういうお医者様だろうと。

とにかく訪問診療をしてもらえるかどうか聞いてみなくちゃわからない。こういうときは突撃マダ~ムに大変身である(←アホ^^;)。

「聞かぬは一生の恥」を座右の銘にしているくらい(←ウソだけど)、聞かないではいられないたち。

もちろんだ!

しかも切羽詰っている。最短で最良の道を探し出したいというのも人間の本能だろう(←本当か?)。

それで、電話して外来の予約をして行ってきた。

現在の病状。血液検査の結果。これまでの経緯を話し、本人は緩和ケアを希望していること。そして最終的にはホスピスに入りたいと言っていることを伝えた。

すると、血液検査の結果をみてその先生は一言。

「末期ではないと思うけど……」

「へ?」

「血液検査の結果だけをみるとね、末期というほどまでいっていないよ」

「え? そうなんですか? 末期だの、ターミナルの時期だのいわれていたんですけど」

「う~ん、そういうようには思えない…。ただね、食べられる量というのも目安になるからね。食べられなくなっているというのも、確かに心配ではある。でも治療によっては食べられるようになるかもしれないし、歩けるようにもなるよ」

「そうなんですか」

まさに天の声…ではないけど、さすが、長年にわたって緩和ケアをしてきた先生である。治すための治療を行う医師とは違う方法、術をたくさん知っているんだということが窺われた。

「もちろん会ってみなくてはわからないけどね」というO医師。

はじめは、実家がそのクリニックから微妙に遠い距離だったので、訪問診療の難色を示していたのだが、退院したらすぐに一度診てくれることになった。

私は外来でもいいと思っていたのだけれど、訪問してくれる…と言ってくれたとき、「は~」と肩の力が抜けた。

もう、よかったよ。これで母を心置きなく退院させることができる。

一山越えたよ。少しビジョンが見えてきたよ。よかった~。

あとはそのO先生の治療で、痛みがコントロールできて、ご飯が食べられて、少しでも歩けるようになったら、とりあえず安泰!

誰に対して感謝なのかはわからないけれど、とにかく感謝感謝で、感動をしてしまったマダ~ムでありました。。。

今後どーなるかは神のみぞ知る…だけどね。




おそまつ。
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DATE: CATEGORY:心境
2007.5.15に記す。

昨日、ターミナルがどうのとか書いてしまったが、それはそれで今日は主治医のいる大学病院へ、母の病状をどう考えたらいいのか相談しに行ってきた。

朝早く家を出て、小一時間。普通なら3時間待ちは当たり前の大学病院外来である。朝一番だったら待つ時間も少なかろうと思い、家を早く出たのだけど、あらあら……。行ったらすぐに順番が回ってきた。よかった~。

話を聞けば、やっぱりというか思ったとおり…。ものすごく悪くなっているというわけでもないようだ。確かにターミナルの時期かもしれないのだが、今のような状態を保てればまだまだ大丈夫という話だったのだ。

問題は母の精神状態。

ホルモン剤の治療を行っていたせいで、先生は、若干のうつ状態ではあったかもしれないというのだ。確かに精神が不安定という日々が続いていた。

そして、「強いことをお母さんは言うけど、実際は強くないよね」と先生。

そのとおりで、実はとっても弱い人なのである。何か経験したことがないことが起こると、途端に動揺し、冷静さを失ってしまうのだ。冷静に考えれば対処できそうなものを、いつも難しくしてしまいがちな母なのだ。

ずいぶん前に書いた借金問題も、冷静に考えればもっと早くに何とかできたものを、冷静さを欠いていたので泥沼状態にまで陥ったという、まさにその事例である。

人の心って難しいな、と思う。

娘の私は超がついてしまうほど、現実を見極めなければいられない性格である。超リアリスト。お陰で見極めるためにはフットワークもよくなる。

そう、今朝も朝早くから大学病院に行った私を知って、母も姉も「フットワークがいい……」と言うほど。

それは超現実的な性格がなせる業なのだ! ←わざとビシっと言ってみる(笑) ←それくらい言わせてくれという感じ^^;

さらに言えば、現実を知りたいと思えば思うほど、恥ずかしいという思いが薄れてしまう人間である。「聞かぬは恥だ」と。

というわけで、ぶっちゃけて主治医には「余命はどう見ているのか」ということまで聞いてきた。

そしてその返事は「思いのほか大丈夫」ということ。

よかったよ。焦る必要はなし、ということだよ。

じっくり腰をすえて、今後の看護(介護)を考えようと思ったマダ~ムでありました。

おしまい
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DATE: CATEGORY:心境
2007.5.14に記す。

母の病状が徐々に悪化してきてるようで、最近発熱することが多くなってきた。

気丈にも家事を続けてきていたけど、それもままならない状態のよう。口だけが達者なのが玉に瑕なのだ。これが波紋を広げている(笑)

かかりつけのお医者さん(近所のホームドクター)と、訪問看護士さんが相談して、在宅看護の方法を、いろいろとその対処の方法を考えてくれるのだが、ガンの主治医の意向が分かりにくく、上手く伝わってこないために踏ん切りがつかないことが悩みの種となってきた。

大学病院のお医者様の意見を尊重するのはいい。それならそれで先生の意見を聞いて治療をしてくればいいものを、「治療はしたくない」なんて言ってくれるものだから、ことがややこしくなってしまうのだ。

であれば、かかりつけのお医者さまが考えてくださる看護方針で過ごしてくれればいいのだけれど、今度は「大学病院の先生の意見を聞きたい」なんて言い出す始末。

「お~い、どっちなんだー!」と叫ぶ娘である。

おそらく、心が揺らいだ状態なんだと思う。

訪問看護士さんも「かなり揺れているように思う」と言っているし、自分ではもう決められないのだろう。「治療はいや」なんて言ってねえ……。「やっぱり弱い人なんだなあ~」と今さらながら感じている。

昔から本当はそうなんだけどさ、外面がよくって、ええカッコしいなんだよねえ。toro家…実家の血の悪いところである。

訪問看護士さんによれば、「かかりつけのお医者さまは『もうターミナルの時期なんで、今後のことを決めておかないと』というようなことをおっしゃっているんで」というし、そろそろ覚悟はしなければならないようなんだけど、「ターミナルの時期って言われてもねえ…」という思いが本音である。

終末期というのは人によって違うわけでしょ。

それがどういう状況で、どういうタイミングでやってくるのかなんて、誰もわかったものじゃない。

私以上にオカルトな母は、霊感の強い友人に聞いては「奇跡が起こるって!!!」なんて言い出すし、「はあ~」と頭を抱えたくなるようなところで、ターミナルって言われてもねえ…。

ということで、そういう段階での看護(介護)段階に入った母であり、そちら方面でのことで奔走を始めているマダ~ムなのでございました。

でね、疲れているんです^^;

ぐらぐら心が揺れている母に付き合って、ほとほと参ってしまっているんです。

望みは叶えてあげたいという気持ちで向かうんですけどねえ、、、。

これはこれで大変だなあ~と。

精神的なケアを受けてもらいたいとも思うんですけどねえ~。お医者様にも問題ありでねえ。

ま、ガンバリマスケドネ。



愚痴でしたね。

おそまつさまです…;;
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DATE: CATEGORY:心境
2006.8.30に記す。

本人はいたって元気そうに病院へ行くので、案外大丈夫なのかなと思っていたが、検査結果を聞けば治療よりも病気のほうが勝っていて、残念ながら母の病気は悪化していた。

母は病気のことを全部聞きたいという。そして、自分でこの後のことを決めたいと希望している。だから先生にはすべてを話してもらっている。

しかし、先生が言葉をずいぶんと選んで、母に話をしているのを見て、「よくないんだな」ということを実感した。

母は「皆に迷惑をかけたくないから」という。でも、すべてを自分で決めてしまえるほど生易しい病気ではない。

予想していた病気の進行具合と異なる病状が出てきてしまったので、一瞬、母も動揺しているようだった。

もちろん私もかなりのショックを受けたが、それよりもなによりも本人のショックのほうが大きいだろう。私は何食わぬ顔をし続けるしかなかった。

人はそう簡単には死なない。

そう心に言い聞かせて、、、なんとか頑張ろうと……。





というわけで、またちょっと、動揺を抑えるためにもお休みします。



すみません。
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DATE: CATEGORY:未分類
2006.3.7に記す

母に治験の話が持ち上がったのは先日のこと。

治験を受けるに際し、説明書を受け取り、あとは書類に署名をするところまで進んでいた。

しかし検査の結果、治験を受けないこととなった。

何でも、ガンが出てきたり消えたりという症状であるため、ガンを特定できないというのである。

要するに、特定できないから治験を受けたとしても効果がわからない。ゆえに、受けてもらってもしょうがないというか。。。治験にならないということなのだった。

ある意味ほっとした娘である^^



治験に際しての説明書を読んだ段階での私の疑問点は、母が一応お医者様に聞いてくれていた。

まず、「治験中止の条件と理由」という欄があったのだが、そこのところにはあくまでも医者の立場からの中止の条件と理由しか記されていなかった。

治験者からの中止というのはどのように扱われるのか不明であったため、そこを聞いてもらった。

返事。治験者はいつでも中止を申し出ることができるということである。

それから、「無作為(偶然に任せること)……云々」という文言があったので、その意味がわからないでいた。

「無作為に試験を行うってことか?」

返事。医学用語:randomized controled studyを訳しているため、伝わりにくくなっているということ。医学用語の訳では「無作為化比較試験」というそうである。

なんや余計わからん^^;

マア何となくのニュアンスを受け止めれば、治験者に対し、ランダムにいくつかの方法で治験を行うことによって、その結果を導き出す、、、ということかなああ、と。

調べてみれば、あれこれとその説明が出てきたけど、そのついでにいろいろな治験が行われているということを知った。

こんな世界もあったのかと、改めて思い知らされる。

自分が出遭って初めて知るという世界は、まだまだたくさんあるということ。



40代も半ばになろうというのに、知らんことはたくさんあるなあと、、、。まだまだひよっ子か? なんて自分を戒めてみたりもする(笑)

偉そうな口はきけんね
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DATE: CATEGORY:未分類
2006.1.30記す

がん治療を継続して行っている母に「治験」の話が持ち上がった。

「ねえ。治験を受けてみないかっていう話があって、お母さん、受けてみようと思うんだ。その前にtoroにも説明文を読んでもらって、意見を聞きたいんだけど」という電話が母からあった。

もともと世のため人のために働くことをいとわない母である。であるから、本人は受ける気満々でいることが窺えた。

まあ、いいんだけど。

説明文を読むと、どうやら母が受けることになる治験は日本では2回目ということらしい。1回目の治験の結果や副作用のことなどがずらずらと書かれていた。

それから万が一のことやら保障…(どちらかというと「補償」かな)のことなども書かれている。

さらには個人情報の遵守とか、カルテの取り扱いなどモロモロ。

一通り読んでみて、疑問に思ったことは2,3点あったが、とりわけ大きな問題になるようなことはないように思えた。

しかし、治験なんてはじめてのことだからよくわからない。

家に帰ってきてインターネットで調べてみたら、おお、サイトがあるある。

http://www.chiken-net.com/

http://www.e-chiken.com/

http://www.tiken-club.com/

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/


うっかりしていたが、健康な人が行う治験もあるんだと改めて知って、知らない世界がここにもあったか、、、という気になってしまった。


母の場合、ある治療をある薬によって行っていたが、副作用のせいで続けられないでいた。そのためそれに代わる治療薬を…ということであったが見当たらない。

そのうち、代わりになるような薬があるのがわかったのだけれど。。。しかし、日本では治験段階。ということで治験を受けてみないか、という話になったのである。

母は「私は運がいい」という言い方をする。

「受けたくても受けられない人がいるのに、私は選んでもらえてよかった」と。

ここでちょっと違和感を持つ私…。

確かに「治験」を受ける人は限定されている。しかし、「治験」は「治験」であって、「治療」じゃない。その違いをどのように納得すればいいのか。

選んでもらえたのかもしれないけれど、効くかわからない「治療」である。しかも「治験」。

何となくモヤモヤ感が残るのであるが、本人はがんの発覚時とうって変わって積極的に治療を受ける姿勢に変わってきた。それをとやかく言う資格なんて私にはないと思うのだ。たとえ娘だとしても。だから、「自分が納得すればいいんじゃないの?」という結論に達した。

(がん発覚時は手術以外の治療はすべて拒否した母である。「副作用で苦しむより、それなら死んだ方がいい」なんて言う人だったのだ。それが手術から4年目になろうというときに転移が見つかって、それから考え方ががらりと変わったようである。最近では急激に生きる意欲が出てきたのか、積極的に治療するようになった。)


ただ、治験を受けるからには、ちゃんとしたフォローがなくては家族もやりきれん。

母の持っていた説明文のなかにもあったが、厚労省の治験のサイトの中でも書かれていたことはこんなこと↓。


●診察待ち時間を短くするように、治験専門の外来診察の設置
●服薬指導や患者さんの相談を受ける専任の看護師・薬剤師の配置
●治験や健康などに関する質問や相談に応じる治験相談窓口の設置
●治験を依頼している製薬会社による治験薬を使用している期間中の検査費用と一部のくすり費用負担
●一定の範囲での通院の交通費補助

これらが義務づけられているということである。

ふ~ん…。


この後、何かあったら書くかもしれませぬ。


おしまい。
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母のターミナルを覚書として残すために、本宅と切り離してこのお話を記すブログを始めようと思います。
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