プロフィール

toro

Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


最近の記事


最近のコメント


月別アーカイブ


カテゴリー


FC2カウンター


ブロとも申請フォーム


DATE: CATEGORY:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
DATE: CATEGORY:母の一日
記事が前後しますね。すいません。7月10日からのことを記しておきます。長文です。

7月9日の「ついに来たか……」と書いた後、やはり母の容態はどんどん悪くなり、水と氷だけで何とか持ちこたえているという状態になりました。


10日(火)
朝早々に実家へ。姉から「母が『息苦しい』と言っているんだけど…」と連絡が入り、焦って自転車を飛ばす。以前「息が苦しかったら、在宅酸素を2時間で届けることができるから」とお医者様に言われていたので、朝早いにもかかわらずO先生に電話をし、どうしたらいいか指示を仰いだ。電話口で「オプソ(モルヒネの一種)を飲ませてください」と言われ、「あ、そうか…」と。
「苦しいというときは、まずはオプソ」ということを先生に言われていたのを思い出してすぐに飲ませる。
そして私に珍しく仕事の打ち合わせが入っていたので、お昼の間どうしても母を看られず、従兄の奥さん(Mさん)にお願いして外出。訪問看護師さんも同時期に来てくれて様子を見てくれた。

夕方、保健士さん、ケアマネージャーさんと今後の看護(介護)のことを相談するために来てくれることになっていたので、打ち合わせ後すぐに実家へ。なんたって「要支援2」だったし、支援を受ける内容に限界が来ていたし、でも状態が状態だし…という悩みのなかでの相談。
ケアマネージャーさんは元看護師さんで、母の様子を見ると「もうダメかな」と印象を持ったようではあったが、明るく母に声をかけてくれて、そして私の不安を打ち消してくれるように親身に相談にのってくれた。

その間、訪問看護師さんが酸素の手配をしてくれて、在宅酸素の器具と酸素ボンベがやってきた。酸素1リットル。

母と話をしている間は、パンパンにむくんでしまった足をマッサージし続ける。

この日はここで何となく小康状態。姉とバトンタッチ。

11日(水)
朝から実家へ。この日も水と氷だけ。少しでも栄養を与えたい私はレモン水を凍らせて口に含ませてみるも、「水だけの氷のほうが美味しい。氷もあまいんだよ、toroちゃん」と母に言われる。
お昼にはまた従兄の奥さん(Mさん)が来てくれて、訪問看護師さんも様子を見に来てくれる。

看護師さんが帰り際、玄関で、「肩を大きく動かして息をするようになったり、息をする間隔が大きく開くようになってきたらすぐに連絡をください」と……。Mさんと2人で顔を見合わせる。
<やっぱりダメか>と覚悟を決めた。

トイレは朝夕の2回に。
夕方、抱きかかえながらも何とか自分の足で歩き、トイレに入った。
便座から立ち上がるのも難儀そうで…母は「足の筋肉がなくなっちゃったねえ」と悲しそうに言っていた。
それでも自分の力でトイレに行こうとする母は偉いと思った。

以前から「最期はホスピス」と言っていた母である。その見極めは「自分でトイレに行けなくなったら」というものだった。

「明日、O先生が来てくれるんだよね。先生に入院したいと言わなくちゃ」と母。
「家にいてもいいんじゃないの?」と私は言うも、「皆に迷惑をかけるのが心苦しいから」と言う。
<本人の希望通りにすべきなんだろうけどな…>と思いつつ、気持ちに迷いが生じてきた。私も最期はホスピスに入ったほうが、本人も楽なのではないかと思っていたのだが、果たしてそれが本心なのか。分からなくなっていた。

この日は姉に早く仕事を切り上げて帰ってきてもらい、一緒に姉とテイクアウトの食事を取りながら、母を看る。
そして姉とバトンタッチ。

12日(木)
母には申し訳ない気持ちで一杯だったが、持っている銀行の口座…預金通帳やら、家の権利書のある場所などを聞く。
本人はいたって平静で、「あそこを見てみて、向こうを探してみて」と次々私に指示を与えた。
母は「尊厳死の宣言」という文書を残していて、そういうものを書いているのは知っていたが、このとき、改めてそれを手にとって見るととっても悲しく感じてしまった。裏には、死んだあとどうして欲しいかということが書いてあった。それも以前に見てはいたのだが、これが現実となると……。

そんなこんなしながら、何となく枕元で話をしていると、
「お化粧はKさんにしてもらって。それから、お花はBさんに。私の周りは可愛いお花で飾ってね。それ以外はあんたたちの好きにすればいいから」なんて言い出す。「Kさん、私の顔を見ながらぼろぼろ泣いちゃうかもねえ」なんて言っている。
「Mくんに美味しいものを作ってもらってね。そして通夜振る舞いのお酒は安物じゃなく、いいお酒を出すのよ」…だって。
「ずいぶん偉そうじゃん」と言うと、「偉いもん。最期まで私の言うことを聞いてもらうからね」……。
最後の最期まで母にやられっぱなし(^^;

夕方、母は「もう自分でトイレに行けない」と言い出す。それを聞いて帰ってきたばかりの姉が車を飛ばし、おまるを買ってくる。この日の朝、私が抱きかかえながらもトイレに行ったのが、自力で行った最期のトイレ……。

夜、O先生が往診に来てくれる。母をひと目見たときのO先生の表情を見ると、もう長くはないということが分かった。
ゆっくりと話をしながら、母の意思を確認する。O先生を信頼している母は、O先生には本心を語ってくれるだろうと思って、そのとき姉と私は席を外した。
「入院したいとおっしゃっているので、ご本人の希望を尊重しましょう」と先生。すぐに提携しているホスピス病棟のある病院に連絡をして手配をしてくれた。丁度、緩和ケア担当のお医者さまが当直で、話が早かったようである。
「ホスピス病棟は空いていないけれど、一般病棟が空いているので、そちらに入ってもらいましょう。明朝一番で娘さんが外来に行って手続きをしてください」と先生。
その場で紹介状を作成し、その足で病院に紹介状を持って行ってくださった。夜、8時を過ぎている。ものすごく素早い対応で頭が下がる。

O先生は帰り際「早くてこの週末だと思う。僕も病院に様子を見にいくから」と。

13日(金)
朝早く夫T君と実家へ。入院手続きのための用意をしていると、介護保険の調査員が来る。要介護度の見直しのためのそれであったが、「今さら……」と思いつつも、来てもらったのだ。そしてその場は姉に任せて、病院へと車を走らせる。
外来で緩和ケアの先生の説明を受け、手続きを済まして、母の移動手段を思案。先生は「救急車を」と言うが、姉は「救急車はいやだ」と。
ストレッチャーで運んでくれる介護タクシー会社を探し連絡をいれると、すぐ来てくれるということになり、事なきを得る。
実家へ帰ると、北陸のほうで就職をして働いている従兄の息子が駆けつけていた。「S君に会えてよかった」と母。そしてもう一人の近所に暮らす従姉が来てくれて、この後、病院まで付き添ってくれた。

介護タクシーには姉が同乗し、私はT君運転の車で病院へ。家の玄関から門扉までが狭いので、担架で母を運ぶのに難儀したが、従兄と従兄の息子、そしてT君という男手がたくさんあったので助かった。親戚が近くにいてよかった…(これまでは全然いてよかったなんて思ったこともないんだけどね^^;)。

ホスピス病棟は空いておらず、一般病棟への入院となったが、30床以上ある一般病棟のうち20床は緩和ケアのための入院患者だと先生は言っていた。それだけ、緩和ケアの需要が高いということなんだろう。そして、この病院の緩和ケアに対する姿勢が有名になっているということが分かった。

母は個室を希望したが、個室が空いていなくて、2人部屋に。しかし、幸運にももう一つのベッドは空いていて、そのベッドに姉が泊まることになった。

病院に入れば、とりあえず一安心。急変したとしても百戦錬磨のお医者様、看護師さんたちが控えている。それを知って安心が一層増した。そして姉に母を任せていったん帰宅。

14日(土)
午前中、私とT君は整体に行き、母の元へと車を走らせる。
前日に「14日の晩は私も泊まるから」と姉に伝えるも、姉は「大丈夫」との返事。そんなにすぐには逝ってしまわないという様子であったが、私は心配でたまらなかった。
案の定、病院に着くと母の呼吸がおかしくなっていた。とても苦しそう。姉にこれまでの様子を聞いても要領を得ず。とにかく呼吸がおかしいから、看護師さんをT君に呼んできてもらう。
すると、やはり息が苦しかったらしく酸素量をマックス(7リットル)に。息をするときに大きな声が出るようになってきてしまった…。
病院の担当医が来て様子を見る。「そろそろかもしれません。呼びたい人がいたら、呼んでください」と言われる。
慌てて、従兄の奥さんに電話。そしてこの日見舞いに来ると言っていた母の妹(叔母)夫婦に「急いで」と連絡。
最期まで聴力は残ると聞いていたので、母に声をかけ続ける。腕や足をさすりながら。だんだんと手の先や足の先が冷たくなっていくのが分かる。

従兄の家族が到着。共に、母が一番嫌っていた姉(伯母:従兄の母親)が来る。来て欲しくはなかったのだが仕方がない。まだ死んでもいないのに号泣され、私と姉は困惑。
叔母も到着し、大きな声で母の名前を呼ぶ。これまた号泣……。<だから、まだ死んでいないって>と思うも、<仕方ないんだろうな>と納得する。

そして午後3時少し前。静かな息に徐々になってはいたけれど、その息の間隔が長くなり始めた。そして最期にはすうぅと息が止まった。

お別れの瞬間。

母は逝ってしまった。
スポンサーサイト
コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する


copyright © 私的覚書  all rights reserved.Powered by FC2ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。