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Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:緩和ケア
母が最期に受けた医療というのは「緩和ケア」というものである。
それは病気を治すための医療ではなく、病気の痛みをコントロールし、心穏やかに過ごせるように施す医療だ。

母は、今年の5月まで治療のための医療を受けに大学病院に通っていた。
ガンが骨に転移していたので、骨を強くするための薬やホルモン剤を点滴しに大学病院に行っていたのだ。
そしてその5月。移送サービスの業者さんに車を出してもらい、病院に着いてから、診察を受けたときに「もう疲れたので入院させてください」と自ら申し出たのであった。「どこが悪いのか、治すにはどうすればいいのか、それを教えて欲しい」。「家族に負担がかかってきているので、生活を立て直すためにも、ここで自分の体の状態をちゃんと知りたい」と。そんな理由があったようであった。

担当医はすぐには「うん」とは言わなかった。
「Mさん、入院するとこの次はすぐにホスピスということになるかもしれませんよ。家に帰れなくなるかもしれませんよ」ということを何度も言うのだ。

同席していた私は、はじめは担当医が言うこの意味がよく理解できずにいた。でも、何度も何度も聞いているうちに、「病院に入ると衰弱が進む可能性が高い」ということが分かった。おそらく、それは担当医の経験上のことであったと思う。そして、それだけ母の病気は進行していたんだと思う。
以前、この担当医と私は、母を抜きで話をしたことがあった。そのとき、「toroさんのお母さんは気丈に振舞っているけど、実のところ気が弱いところがあるよね」と母の印象を言っていた。私はその通りだと思ったので、担当医には「そうなんですよね^^;」という返事をしていたのだ。

実際、痛み止めということでこの担当医が処方してくれていた薬があった。モルヒネの一種で「オプソ」というものだった。それを処方してくれていたのが今年の春(4月頃?)……。この処方のことはあとで知ったのであるが、母は、この薬が処方されたのがよっぽどショックだったようで、全然関係ない引き出しの奥のほうへ押し込んでいたのだった。

そんな母の性格を察知してのことだろう。一生懸命オブラートに包みながら、母に説明をする担当医であった。

案の定、入院してみればどんどんと痩せ始めて、ご飯が食べられなくなってきた。そうこうしているうち大学病院の対応への文句が多くなってきた。

「ご飯は美味しくないし、検査の結果も診察もいままでと変わらない。大学病院は何もしてくれない」と文句たらたら。そうして2週間経ったら「もう退院する」と宣言し、退院してしまったのだ。

後から聞いた話では、退院時に初めて「緩和ケア」という言葉が出てきたらしい。実のところ、いま思えばであるが、担当医に「『緩和ケア』を…」という言葉を期待していたようなのだった。要するに「引導を渡すなら渡してくれ!」ぐらいに思っていたようなのだった。

担当医と気持ちがすれ違う母。

やはりお医者様と私が思っていた以上に、母は強い人だったのかもしれない。はっきり物を言ってもらえていたら、そのように対応していたのかもしれないと。

最後の最期まで、このお医者様の悪口を言っていた母であったが、いまごろはこの先生の気持ちを察知してくれているだろうな…と願う娘である。


さて、退院してから、前の記事にも書いているが、探しに探した緩和ケアの先生(O先生)に往診してもらうようになり、在宅で心穏やかに過ごせるようになった母である。「なんでこんなになっちゃうのかねえ~」とつぶやくこともあったが、自分の運命を少しずつ受け入れていったようだ。

そこで、O先生が処方した薬の話である。

痛みに対してはまず、「ロキソニン」「オプソ」…。どうしても苦しい、つらいと思うときには「マイスリー(睡眠導入剤)」。息切れがするときはやはり「オプソ」。そして酸素投与。また、痛み止めの薬のせいで便秘しやすくなるということで便秘に効く薬を一種類。

そんな処方であった。

これらを一つひとつ、どういうときに飲んだらいいのか、何に効くのかということを懇切丁寧に説明をしてくれたのだ。

そういう対応を受けて、がらりと変わった母の態度。大学病院でも処方されていた「オプソ」に対する拒絶反応は、ここで全くなくなり、O先生の言うとおりに薬を飲み始めた。

食欲が増すというステロイド剤や胃粘膜を保護する薬など、薬を飲む量は増えたけれど、これで安らかに過ごすことができるのであれば、と思ったようである。

それにも増して、O先生との会話がすこぶる楽しかったようで、先生と話のできる時間を楽しみに待っていた。

一時間以上も話をしてくれるお医者さまなんてそういないと思うし、O先生の対応には感謝で一杯である。

緩和ケアの薬については、もう少し詳しく書いてもいいように感じるが、O先生に接していて思ったのは、どんな薬を用いても、対話することが一番の薬になったということである。お話をし、心を通わせることで穏やかな気持ちになる。それを体現してみせてくれたのが、O先生であった。

お陰で、医療に対する不満も消え(大学病院への悪口は止まらなかったけど^^;)、そのまま最期を迎えることができたのでホット胸をなでおろしたのであった。



おしまい。
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