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Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:緩和ケア
病気を治すための医療から、病気の苦しみを緩和するための医療に「いつ」移行したらいいのかということを、つらつらと考えてみた。

もちろん母の病気のこともあって、考えざるを得なかったということが本当のところではあるのだが。

とともに、考えざるを得ないことは「人の尊厳」ということである。ここで簡単にいってしまえば「尊厳死」のことなんだけど、「延命」という「医療」をどのように見るかということも関係してくると思っている。
(「延命」というのは「治療」ではなく、あくまでも「医療」。だって治らない段階での医療行為だから。なんとなく厳密に言うと変だなと)

母の緩和ケアへの移行は、ほとんど私との阿吽の呼吸だったように感じている。誰が決断したわけでもなく。ただし、大学病院の対応は「患者を見放した」と感じるものだったので、そのときがまさに移行のときだったのかなと思っている。
だけど運良く往診に来てくれる先生にめぐり合えたし、そのタイミングは絶妙なものであった。

果たしてこれが他の人にも当てはまるか、といったら違うだろう。

やはり、本人と家族の考え方なんだと思う。考え方の方向が異なっていたら、こんなにうまく人と出会えるようなことはなかったと思うし、看病をするときの力は生まれなかったと思う。
(看病や介護にはいろんな力が必要!)
であるから、そのときが来るまでに「家族で話し合っておく」、「意思確認をしておく」ということはとても重要なことのように思う。
とっても難しいことだとは思うけれど。
それから、本人が生きてきた様子や背景、環境をじっくりと考える(思い出す)必要はある。そこにヒントが隠されていると思うから。

家族がいない場合は、きっちり文書で残しておくとかね。
そういう方法をとるべきだなって思う。
(何たって、私には子どもはいないし。おそらく私が死を迎える頃は、家族や親戚も少なくなっているだろうし)


そうしておけば、治すための医療から苦しみを緩和するための医療へと、不思議なタイミングかもしれないけど、移行できるのではないかと思うのだ。

そのタイミングというのは人それぞれだと思う。全く、違うだろう。
それまで治療による治り方にもよるし、薬の効き方にもよる。
そしてその人の生命力や運にも左右されると思う。
なによりも緩和なんて必要がない、という場合もあるだろう。

そう思えばタイミングなんて気にする必要はないのかもしれないけれど…。問題は迷いが生じたときだ。

「治るの? 治らないの?」「治療は続けるべきなのか?」「ただ黙って死を待つべきなのか?」という迷い。

時間があるときに迷いは生ずるということも念頭において欲しい。時間がなく、差し迫っているときは迷っている場合ではないのだ…。

迷いが生じたとき、告知をしている人ならば、本人の意思を確認するしかない。それが一番のように思う。自分もそうしたい。
そして、本人の思うようにしてあげるのが家族の役目だと思う。

もし、告知をしていない場合は、本人に分からないように家族の誰かが決断をして移行するしかないんだろうなあ。


おそらく、全くの推測であるが、私が思うには「尊厳死」を望んでいる人は、その移行を素直に受け入れられるのではないのかなということだ。

延命を望む人にはそぐわない…というより、延命を望む人には治療も緩和ケアも必要なんだと思う。倍の力を必要とすることになる、きっと。
治療と緩和ケアの両立は、医療の現場に立っている人でしか分からないと思うけれど…どうなんだろうなあ。

でも可能であれば、そのどちらも受けられたら一番いいんだろうなと思う。相殺されてしまうことも考えれるけど。

う~ん、考えながら書いていたので、だんだんと深遠な話になってきてしまった。


ただ、一つだけ残念なことがあった。
実は昨年の9月に義父が亡くなっているのだが、義父が亡くなった原因となったその病気に関して、本人には全く告知をしていなかったということ。そのために死を迎えるとき、延命か尊厳死かということに、本人の意思が全く反映されなかったということがあった。
結局は、あれよあれよという間(※)に死んでしまったので、延命も尊厳もなにも考える暇はなかったのだけど、本人の思いは全く家族には伝わってきていなかったのだ。
それが非常に残念。
とっても曖昧なまま死を迎えてしまったのだ。

義父の最期は緩和ケアの一種ともいえるモルヒネを使用した。苦しみを和らげるためだ。本人にはそのように話したが、それをよいとするのかよくないとするのか、その返答を本人からは聞いていない。
「お医者さまの言うことであれば…」ということだったと思う。
そして単に苦しさを軽減させるもの、と本人は思っていたと思う、治療の一環として。

いつの時点まで、「自分の病気は治る」と思っていたのだろうか。そしていつの時点で「ダメだ」と思ったのか…。

息を引き取る前日に、お医者さまが牛乳を義父に飲ませてくれたんだそうだ。そのとき「これが最期かなあ」とぽつりと先生につぶやいたらしい。その場に家族は一人もいなかった…。

夫は言う、「何も親父は言い残さなかったな」と。

何も言い残さなかったのは、「本人は死ぬとは思っていなかったのではないか」と言うのだ。

難しい……。

ここでは告知の問題が出てきてしまう。
告知して、「もうあとが少ないんだよ」と義父に言っていたら、義父は何かを言い残したのかもしれない。そういう時間は十分にあった。

だけどそれはしなかった。
薬が効きそうな一瞬があったし。

でもそこで決断をして、義父に緩和ケアと称して、ゆっくりと過ごせるような時間を作ってあげたらよかったのか。

わからない。


やっぱり本人の気持ち次第のように感じる…。



話がちょっとずれてきたように思うが、「告知」が重要なポイントなんだなという気がしてきた。


このことに関してはもう少し考えてみます。



おしまい。


(※)あれよあれよという間…ではあったのだが、その「あれよあれよ」のときに、モルヒネを何度かフラッシュした。要するに、モルヒネを一回にそれなりの量を投与するということを何回か繰り返したということだ。家族は「苦しまないようにして欲しい」とは言ったけれど、その方法については、私だけかもしれないのだが詳細な記憶がないのだ。義父のそのときは、モルヒネを何回かフラッシュしたら、「あ、死んじゃった」って感じだった。そのために「あれ?」って印象が残った。
何だったんだろうと思う。これでよかったのかな、と実は思っているのだ。
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