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Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:介護保険
母のガンの転移が見つかったと同時期、義父も体調が悪くなり入院ということになった。

そして義父が入院し小康状態になったとき、義父の担当医からは「転医や在宅での療養を考えて置いてください」と言われる。

要するに大学病院は3ヵ月までしかいられないから、転医する先を探すか、在宅での療養をするか考えて、その準備をして欲しいと言われたのであった。

「いずれ在宅での療養となるかもしれない…」と思ったとき、病院の看護師さんから「介護保険の申請をしておいたほうがいいですよ」というアドバイスを受けた。

それを聞いた義母は、私に申請等々をお願いしてくるのであるが、バカヤローの義兄のせいで後手後手となったのは…本宅で記したとおり。

とりあえず、介護保険の申請を行うことになった。
このとき「え~い、母も日常生活に支障をきたしているし、まとめて三人分(義母を含む)の申請をしてしまえ」と思い、介護保険の申請を行った。

そして認定。

義父は認定される前に他界。
義母は認定されるまで1カ月。
母は認定されるまで3ヵ月(病状が安定するまでと言われ時間がかかった)。

結果、義母も母も「要支援2」。

病気である母も、普段は元気一杯な義母も「要支援2」となり、複雑な心境にはなったが、母に対してはこれからの看護(介護)にお願いしたいことがあったので、認定されれば御の字と思っていた。

認定後の義母は、義兄夫婦にお任せ(そこまではやっていられない)。


そしてようやく、お世話になった方々の一人目である。

「要支援」となると「地域包括支援センター」が「介護予防(!)」のためのプランを考えてくれることになっている。そのセンターから派遣されてきた保健師さんがとってもお世話になった人なのである。

「要支援」であるから、「介護予防」なのであるが、母の場合はガンという病気である。この時点ではどのくらいの余命かは分からなかったが、「予防」できるものではなく、悪くなっていくのは明らかであった。
その点を理解してもらい、保健師さんには「看護」の観点からプランを作ってもらうようにお願いした。

この女性はとても若く、そうそうたくさんのケースを経験していなかったからかもしれない。何に対しても一生懸命だった。分からないことがあるとすぐに自分で調べて、私に教えてくれる人だった。

介護用品にしても、介護タクシーにしても、私が相談の電話をすると一緒に考えてくれた。そして「大丈夫です。任せてください」と力強く言ってくれたのだ。

母との会話も強く印象に残っていたようである。母の気の強い発言もしっかり受け止めてくれて、「こうしましょう、ああしましょう」とはっきりと言ってくれたのもありがたかった。

曖昧な発言を嫌う母である。はっきりと明快に応対をしてもらうとほっとするのだ。途中、センターの担当が変わることになったときには「この保健師さんではないと嫌だ」と言って、続けてもらったということもあった。



この保健師さんとは、9~10ヶ月くらいのお付き合いだったか。
本当によくしてもらったという思いしかない。


彼女に母の死を伝えたとき、彼女がその電話口で絶句したことを忘れることはできない。
そしてお通夜の席にも参列してくれて、誰よりも泣きじゃくっていた…。この私ももらい泣きをしてしまったくらいだった。


もう会う機会もないんだろうなと思うと寂しい気持ちになる。




ともあれ感謝の気持ちで一杯なのだ。ありがとう、Sさん。
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