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toro

Author:toro
細々と仕事をしながら生活をしている主婦です。母がガンに罹ってから6年。ターミナルの時期に突入したと思いきや、あっという間に逝ってしまいました。それでもちゃんと受け止めなくてはと覚書としてこれから書き残しておこうと思います。


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DATE: CATEGORY:心境
母にガンが見つかってから、では私はどう思っていたのかということをつらつらと考えてみた。しかし、あまり心情としては変化がなかったように思う。

とにかくやれるだけのことはやろうと思ったのは確か。

でも、母は姉と同居していたし、私はすでに別世帯になって10年は過ぎていたので、普段と変わらない生活であった。そして普段と変わらない気持ちで母に接していたと思う。

ただし、もともとはあまり母のことが好きではなかったこともあって、かなり複雑な心境であったことは間違いない。

父が他界してから、娘2人を育てて生活していかなければならないという状況に陥ったとき、それは母にとっては大変なことだったとは思う。しかし、転職をやたらと繰り返し、借金もし、娘には「勉強しろ」とは言わず「好きなことをしなさい」と言ったけれど、一方で「私の言うことを聞きなさい」と脅すような言い方をする人だった。

とにかく自分の思い通りにならないと気がすまない人だったので、そのために転職も多かったのだろう。正しいことを行おうと一生懸命な人であった。でも、それを行うのに、その環境や条件、あるいは人の心情を考えるということをしなかった。だから平気でちゃぶ台返しのようなこともしたし、人を脅すような物言いするようなこともあった。

それがずっと好きになれなかったところだ。

でも感謝せずにいられない部分もあった。それはどんなことがあっても味方にはなってくれたことである。これだけはありがたかった。お金や物質的なことは望めなかったが、言葉や態度では必ず支えてくれようとしていた。これが母親っていうものなんだろうなと思う。


晩年、姉は母をあちらこちらに旅行に連れて行ってくれていたし、もちろん姉が生活の援助をしてくれていたから、それほどお金に苦しまずにいた。なので、不自由なく過ごしてくれていたのではなかろうか。

私自身は最後の1年間、ほとんど毎日のように母のところへ行った。犬の散歩を口実にしていたが、心配で仕方がなかったのだ。いつ何時、どのように変化するかわからないし、病状が変わったときにはすぐに対応したいと思っていた。そして、母と話がしたいと思っていた。

思い起こせば「もうそんなに長くはないな」と感じていたのだと思う。もう話すことができなくなるかもしれないということを、薄々感じていたから。自分のためにも母と話がしていたいと思った。また、寂しくさせたくないという気持ちも強かった。

そんな思いもあったので、毎日、顔を見に行ったけれど、話すことといえば普段と変わらず、いつもの母娘の会話であった。憎まれ口をずいぶんと叩かれたし……。

きっとそういうものなのだろう。


悔いというものもあまり残っていない。

大体、私は人の介護というのは苦手だ。人の体に触れるのが怖いということもあるが、素人同然の人がやるべきではない。介護状態になったならば、絶対にプロの手にかかったほうが良いと思っている人間だ。

であるから、介護が必要とあらばその道のプロを探してお願いする……そういうことで奔走することは全然いとわない。むしろ、そういうことは得意なので、走り回っていい人を探してお願いするということは率先してやってきた。

自分の立場はここにあると思っているので、「できないことはできない」し、「やれることはやる」、それだけである。

お陰さまで、母はほとんど介護の手を要さなかった。介護らしい介護は、娘2人で何とかなったのだから。これは感謝すべきなのだろう。ヘルパーさんもお願いしたが、身体介護ではなく、家事援助でお願いしただけで終わった。



喪失感…。それはまだよくわからない。

息をひきとってからの2週間はどっと落ち込み、母の最期のことばかりを考えてしまっていた。姉も会えば、最期を迎えたときの話ばかりが出て、2人ともその話に終始する始末だった。まるで反芻するかのように。

おそらく、何度も考えて自分の心にしみこんで同化するように、咀嚼している時間だったのだろう。きっと必要な時間だったのだと思う。

「うつ」というのも2週間以上続くと、病気の疑いがあるという。2週間という時間は、人間にとってある種のタイムリミットなのかもしれない。2週間で気持ちは変化するということか。

とにかく私は2週間たったある日、ふっと身が軽くなる感触を覚えた。「ああ、これでよかったんだな」と思えたのだ。

それから、仕事も少しずつ始めて、他人と会うのが平気になってきた。そしてようやく日常生活に戻ろうという気持ちになったのである。


数日前に、O先生からお便りが届いた。

「2ヶ月が経ったけれど、どうしていますか」とのこと。

結びに「皆様との大切な時を共有できました事に感謝致します」とある。

こちらが感謝すべきなのに……。


いい人が回りにいたから、きっと私も耐えられたんだな。


おしまい。



また心境の変化に気づいたら、書き綴るかもしれません。
いまは「何で子どもというのは、親の面倒をみなくちゃ」という気持ちになるのかな…とふと考えているところです。
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コメント

toroさん、拙ブログにお悔やみをありがとうございました。
toroさんもお母様を見送られたのですね。
うちの場合、1月に既に覚悟してくれといわれたこともあり、心の準備はできていたつもりでしたが。
今はボーっとしています、しばらくこんな感じでしょうか。
こちらのブログもじっくり読ませていただきますね。

びあんこさん

びあんこさんのお母様が倒れられたのを知って、
どうされているだろうと思っていました。
残念な結果となり、言葉もありません。
どうか気を落とさないように。
来てくださってありがとうございます。

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